意識と言語、絶対音感

 養老孟子先生の講演をアップしようと思っていたら、またたく間に3年を過ぎてしまった。さる精神神経学会で、もっとも共感を持って聞いた話題である。

                           

 氏は、猫には絶対音感があるという。そして生まれたばかりのヒトにもあると。なぜなら、音声だけで、自分の親を正しく認識できる能力は、生きものの生存に欠かせない大切な能力であるから。しかしながらヒトは、成長し、言葉を覚えるとともに、絶対音感を失ってしまう。                 

 言葉の習得とともに、意識は生じ、意識は厳密な音の高さやリズムに対する感覚を不要のものとし、すべてを言葉の意味内容とともに、均一にしてしまう。ヒトは人として、意味の世界へ参入し、ものごとあるいは世界を、意味のもとに理解し、論理的に受け入れてゆく。                     

 氏はしかし、便利さが追及される現代社会においては、 言語的あるいは論理的整合性に還元されない、 どちらかといえば「Noise」とされているものをこそ、大切にすべきではないかと話されていた。たとえば音楽や、絵画など。言語や論理を介さない、生の感覚によってのみ存在を表すもの。大きな共感をもって聞いた。                                

 精神医学はまさにこうした、論理的に還元されえない分野を扱う、唯一の医学だと認識しているからだ。人それぞれの身体性、あるいは固有のかけがえのなさは、論理以前の生命(とそれを捉える物語性)に依拠しているし、多くの「精神症状」を生み出す理不尽な物事は、あらゆるロジックには回収されえない、いわば生(なま)の感情、感覚を伴うからだ。                 

 言語以前の生(なま)の感情’(たとえば恐怖など)の奔出は、言語や意識に回収されえないため、精神症状を作り出す。これら言語以前に抑圧された感情を解き放ち、自由で闊達な感覚を取り戻すことが、精神科治療の根幹となる。私たちが、音楽や絵画、そして何より大自然の営みにこころをふるわせ、陽差しのぬくもりや風のさわやかさを心地よく感じることができるのは、ヒトが人である以前の、自然の感覚に身を委ねられるからに他ならない。            

 心地よい、と思える身体の感覚を取り戻すこと。私が精神科の臨床において、最も優先させていることの大切さを再確認するとともに、意識や言語、論理だけがすべてではない、むしろそれらを習得するために失わてしまう絶対音感をはじめとした感覚の大きさに、改めて気づかされる。ときには効率や論理を離れ、自由でのびのびとした感覚に身を任せることが、現代社会を生きる多くの人に求められる。

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