コラム

生きづらさ、についての私論(第一回 コロナ渦という混沌のなかで)

Posted in コラム on 1月 31st, 2022 by ichiro – 生きづらさ、についての私論(第一回 コロナ渦という混沌のなかで) はコメントを受け付けていません

 この国いや全世界が、コロナという病に追われ、もうすぐ2年になる。長い。あまりにも長すぎる。昨年末ようやく第五波が落ち着いてきたのも束の間、今年に入り、新種のオミクロン株とやらが猛威をふるい、正直もううんざりというのが本音だろう。

 この短くない2年の間に、コロナ渦という混沌のなかで、多くの患者さんの直面する生きづらさに、ずいぶんと触れた。なかでも一番目を引いたのは、人様あるいは家族に自分自身がコロナウィルスを、知らずに感染させてしまうのではないか、という恐怖である。そしてもし感染者にでもなろうものなら、こうした発生者の少ない地方都市では、あることないこと噂が飛び交い、晒しものになる、という恐怖でもある。

 はじめの恐怖を抱くものは、極端に外出を避け、手洗いや消毒を徹底し、他者のために努力することができる、語弊を避けていうならば、善良な人々である。政府の方針に従い、あるいは自らの基準に照らし、他者配慮することができる、自らに厳しい人たちである。

 ただこうした心性の持ち主は、もともと協調性や同調性にすぐれるがゆえに、コロナ渦では抑うつを示しやすいように思われる。実際に多くの方々が、友人や家族との親密な関係を物理的に阻まれ、手洗い過剰などの強迫症状や、自分はコロナなのではないかという心気症状を示し、あるいは家族に感染させたに違いないという迫害妄想に囚われ、クリニックを訪れた。人との接触を自ら断たざるえないがゆえに、症状は悪循環を示し、孤立せざるをえない。

 さらにはふたつめの晒しものの恐怖が、追い打ちをかける。もともと古くは、メランコリー親和型の病前性格に近い、善良、従順かつ他者配慮的な彼らは、本格的な抑うつに陥り、文字通り身動きできなくなってしまう。この2年、女性の自殺者が増加しているという事実は、こうしたコロナ渦における生きづらさの精神病理と、無関係ではないだろう。 その背景には、感染者=悪という、暗黙の了解、元来農耕民族であるこの国が誇る協調性の背後に潜む、差別の構造が横たわっているのはいうまでもない。画一的な報道や、ネット社会 におけるバッシングの恐怖もこの差別に加担している。

 そしていまやオミクロン株の登場である。これまでより一層感染力がつよいがゆえ、まさに世界中で猛威を振るっている。しかも病原性が弱いがため、無症候の感染者も後を絶たない。知らずに広まってしまうのである。しかしながら、まさにこのことが悪循環の抜け道となろう。これまでは感染者=悪という暗黙の了解が成立してしまっていて、他者排除の感情に拍車をかけたが、こうなるともう市中感染を防ぎようがないのではないか。出歩かないわけにはいかないのだから。もちろんできる限りのことはすべきで、医療崩壊を防がなければならない。ただ万が一感染したとしても、それによる吊し上げは防げるのではないか。ようやく感染者を罪のない一病人として、本来のあるべき姿、つまりは差別なく受け止める社会の受け皿、安心してコロナに罹患することができる土壌がつくられるのではないか。

 少なくとも一街中の精神科医にとって、コロナ渦での生きづらさから生じる多くの症状を主訴とする患者さんたちは、コロナそれ自体が怖いのではない。コロナに感染することによって生じる他者からの差別、非難が怖くて、人によってはコロナより重篤な精神症状を示しているのだ。オミクロン株が増え、市中感染が増え続けることはもちろん表面的にはよろこばしいことではないが、感染者を悪とする過ちを排し、なんとか重症者に特化した治療を維持したうえで、差別の構造を打破する抜け道にならないかと期待したい。

 医療崩壊を防ぐぎりぎりの重症者の増加にとどめるために、みながクラスターを防ぐための努力はもちろん続ける必要があるだろう。それでも偶発的にでもオミクロン株には罹患する可能性があるわけだから、安心して罹患と治療が行われる社会を確立し、感染を過度には恐れず、少しでも患者さんの生きづらさが緩和される日が訪れる出口を待ちたい。

意識と言語、絶対音感

Posted in コラム on 5月 21st, 2019 by ichiro – 意識と言語、絶対音感 はコメントを受け付けていません

 養老孟子先生の講演をアップしようと思っていたら、またたく間に3年を過ぎてしまった。さる精神神経学会で、もっとも共感を持って聞いた話題である。

                           

 氏は、猫には絶対音感があるという。そして生まれたばかりのヒトにもあると。なぜなら、音声だけで、自分の親を正しく認識できる能力は、生きものの生存に欠かせない大切な能力であるから。しかしながらヒトは、成長し、言葉を覚えるとともに、絶対音感を失ってしまう。                 

 言葉の習得とともに、意識は生じ、意識は厳密な音の高さやリズムに対する感覚を不要のものとし、すべてを言葉の意味内容とともに、均一にしてしまう。ヒトは人として、意味の世界へ参入し、ものごとあるいは世界を、意味のもとに理解し、論理的に受け入れてゆく。                     

 氏はしかし、便利さが追及される現代社会においては、 言語的あるいは論理的整合性に還元されない、 どちらかといえば「Noise」とされているものをこそ、大切にすべきではないかと話されていた。たとえば音楽や、絵画など。言語や論理を介さない、生の感覚によってのみ存在を表すもの。大きな共感をもって聞いた。                                

 精神医学はまさにこうした、論理的に還元されえない分野を扱う、唯一の医学だと認識しているからだ。人それぞれの身体性、あるいは固有のかけがえのなさは、論理以前の生命(とそれを捉える物語性)に依拠しているし、多くの「精神症状」を生み出す理不尽な物事は、あらゆるロジックには回収されえない、いわば生(なま)の感情、感覚を伴うからだ。                 

 言語以前の生(なま)の感情’(たとえば恐怖など)の奔出は、言語や意識に回収されえないため、精神症状を作り出す。これら言語以前に抑圧された感情を解き放ち、自由で闊達な感覚を取り戻すことが、精神科治療の根幹となる。私たちが、音楽や絵画、そして何より大自然の営みにこころをふるわせ、陽差しのぬくもりや風のさわやかさを心地よく感じることができるのは、ヒトが人である以前の、自然の感覚に身を委ねられるからに他ならない。            

 心地よい、と思える身体の感覚を取り戻すこと。私が精神科の臨床において、最も優先させていることの大切さを再確認するとともに、意識や言語、論理だけがすべてではない、むしろそれらを習得するために失わてしまう絶対音感をはじめとした感覚の大きさに、改めて気づかされる。ときには効率や論理を離れ、自由でのびのびとした感覚に身を任せることが、現代社会を生きる多くの人に求められる。

想像するちから~その2

Posted in コラム on 9月 20th, 2016 by ichiro – 想像するちから~その2 はコメントを受け付けていません

精神神経学会でご講演をいただいた
松沢氏のもうひとつの実験。
パソコンで0.5秒間という瞬時に表示された数字の場所を
数字が消えてから
記憶だけをたよりに
1から10まで
指で順にたどるというもの。
   

チンパンジーにはいとも簡単にできるこの実験が、
人には誰ひとりとしてできないのだ。
たとえ優秀な京都大学の学生の誰もが。
   

野生に生きるチンパンジーは、
瞬間、瞬間の記憶に長け、
人は長期記憶(たとえばエピソード記憶)とともに生きる。
この周知の事実が実験でも確かめられる。
   

神が人間を作り出したとする西洋人には、
にわかに受け入れられなかった実験とのことだが、
チンパンジーのほうがある部分では
ヒトよりすぐれた能力を持ち合わせているのだ。
こと瞬間記憶に関していえば。
しかしながら赤色を「赤」という単語に、
青色を「青」という言葉に結びつける実験となると、
チンパンジーはたちまち苦闘する。
   

人は言葉を生み出し、
概念を形成することができるから
今目の前にないものを、あるかのように想像することができる。
たとえば「赤」と青色で書かれた文字から、赤色を想像することができる。
  

言語は記憶を構成し、
よくもわるくも人間固有の財産、能力となった。
  

しかし言語による(あるいは言語以前の)記憶力、想像力は
ヒトにかけがえのない能力だが、
過去や未来という時制を生みだし、
後悔やフラッシュバックさえときには生じてしまう。
かなしみや苦しみの源泉となる。
  

臨床をしていると、
そんなことに日々気づかされる。
  

特に震災後は
圧倒的な喪失体験が多かったから、
ヒトは苦しみとともに、生きざるをえない。

いまここに
この瞬間を安心して生きることが
治療には欠かせないのだが
後悔や悲哀、フラッシュバックや恐怖に苛まれるのも
ヒトの想像力のなせる苦しみが故
避けて通れないものなのかもしれない。
   

だからこそヒトという種族は
死者を弔い、
死者とともに生きる。
   

死という絶対的な苦しみとともに、
生きざるをえない。
   
  
しかしこうした言語と身体の結び目にある
人固有の必然的な苦悩、
死というものといかに向き合い
いかに受け入れるかの覚悟を持つとき、
想像するちからは
過去(の苦しみ)や未来(に訪れる不安)という時制の呪縛から解き放たれ、
自由に羽ばたき、
いまを生き抜く、
新たな視点を開くのかもしれない。

そう信じて、
(さまざまな外傷が生む)記憶に取り組む。
  

身体をのばし
リラックスし
心地よさを感じる。
   

いまを生きるコツは
このかけがえのない
取り換えのきかない
身体性からの
出発にある。
   
   
次回は
養老孟司氏の「意識の博物学」
と題された講演から。

想像するちから~その1

Posted in コラム on 9月 13th, 2016 by ichiro – 想像するちから~その1 はコメントを受け付けていません

少し前のことになるが
千葉県は幕張メッセにて開催された、
第112回日本精神神経学会に参加した。
  
多くの演題が同時並行されるなか、
松沢哲郎氏の「想像するちから~チンパンジーが教えてくれた人間の心」と
養老孟司氏の「意識の博物学」と題された特別公演は
群を抜いてすばらしかった。

松沢氏は京都大学にて生後まもないチンパンジーと30年以上、生活をともにし、
そこから得た知見をいかんなく話してくださった。
    

とくに印象的だったのは、チンパンジーとヒトの赤子の比較。
ヒトの赤子があおむけで寝ることができるのに対し、
チンパンジーの赤子はあおむけの姿勢にされると、
左足と右手、あるいは右足と左手が、宙に挙上してしまうのだ。反射的に。
これは何を意味するのか。
チンパンジーは生後数か月、母親にしがみついて生きるしかない。
ヒトはあおむけで寝ることにより、
母と、見つめあい、微笑みあい、声のやりとりをすることができる。
この原初の感覚が、
ヒトが人として生きてゆくスタートになり、
チンパンジーとヒトを分かつ決定的な違いになるのだという。
    

いわれてみれば日々の診察においても、日常生活においても、
より鋭敏に知覚するのは、言語としての意味より先に、
トーンとしての「声」であり、
その方の雰囲気としての「まなざし」であるのかもしれない。
ジャックラカンは「対象a」という概念を示し、
人間が人間であるがゆえの根源的能力~幻想の成立に、
この「声」と「まなざし」をあげているが(他には乳房と糞便)、
これらは他者と自己が渾然一体となった赤子時代にその端を発している。
そうして母なる原初の他者と「声」と「まなざし」を交わすことにおいて、
人ならではの安心感を共通言語のように醸成し、
ヒトという種族は基本的な信頼感に支えられることによって、
やがては言語の世界へ参入し、
コミュニケーション能力を発展させてきたのだろうと。
    

臨床場面に置き換えれば、
人は反対に不安な状況下に置かれると、他者からの注察感、声の幻覚を生じやすい。
見られる恐怖、他者の脅威にさらされる。
よってすべての精神科治療の根幹に、その方が身近な他者との関係において、
まずは安心できる環境を取り戻す必要がある。
私が臨床のなかでもっとも大切にするもの、安心感。
この基本中の基本が思い出される。
理屈ではなく、声とまなざしに守られた、安心感である。
それがあってはじめて人は、
自由に、のびのびと、
前へ進むことができる。
    

長くなりました。
次回は松沢氏のもうひとつの実験について。

オープンダイアローグとは何か

Posted in コラム on 2月 16th, 2016 by ichiro – Be the first to comment

さる2月5日、精神科医として出身大学の先輩であり、
精神分析家としては多数の著作を発表していらっしゃる、
現筑波大学医学医療系社会精神保健学教授の斎藤環(さいとうたまき)氏がいわきに来られ、
「若者の不安と軽症のうつ病」というテーマで、特別講演をしてくださった。
  
多様化するコミュニケーション能力(コミュ力というらしい)重視の社会において、
現代の若者の生きづらさ、他者への承認欲求とその屈折、
孤立する恐怖などが具体的に語られ、
社会への不適応という形で軽症の抑うつが生じるという点は、
人が、社会という他者とどう出会い、
生き抜くちからを身に着けてゆけるかという、
思春期の問いにもつながると思われた。
  
講演のあと、
氏の近著「オープンダイアローグとは何か」
についても語る機会を得ることができた。
  
「オープンダイアローグ」というフィンランド発の治療実践は、
著書によれば、重度の精神病を患う患者さんや心的外傷に苦しむ患者さんに対しても、
投薬ではなく、開かれた対話によるアプローチ(オープンダイアローグ)を用いる画期的な試みである。
治療者あるいは治療チームが(例えば薬を飲みなさいなどの)指示的なモノローグで接するのではなく、
お互いの感情表現を含めた、相互の対話が芽生える、生きた場によって展開される治療である。
  
斎藤環氏はこの最近、この治療チームを実践されて、
臨床にも取り組んでおられるとのことだった。
以前お会いしたときにも精神科治療における、
「人薬」の重要性を話しておられたことを思い出す。
科学物質である薬物だけに頼るのではなく、人と人との関係性が
精神疾患の治療にはもっとも大切とする治療姿勢に、
一貫した潔さを感じたのは私だけではないだろう。
  
それぞれが「限界のある身体」をもった生身の人間であるということを踏まえ、
著書にはこうも記されてある。
ミーティングの参加者である私たちの体験は、対話主義的な同調によって与えられる。
それは「存在の一回性の出来事」において肉体を与えられた者どうしに起こる特別な瞬間である。
    
このあたりは実感として、共感できる。
個人精神療法の場でも、
こうして他者である患者さんの感情体験に、深く共感、同調できる瞬間があり、
それはしばしば治癒への重要な転機となる。
    
やや難解なシステム論で有名なマトゥラーナが
こんな言葉を残していることにも驚かされた。
「体験可能な唯一の孤独の超克は、他者との合意の上になりたつ現実、
すなわち愛を通じて成し遂げられます」
さらに、愛の感覚とは、意味を共有する世界に参加したことで生じる、身体レベルの反応のことである。
と続き、
子どもの神経生物学的な発達における、感情の共有体験や情緒的な対話が、
神経システムにおける自己統御能力の形成や言語獲得に向かうプロセスにつながっているとし、
学問的な根拠としていた。
  
なるほど、とうなずかされる。
児童思春期から成人にいたる過程において、
いかに身体性を欠いたコミュニケーションばかりが、はびこっていることだろう。
学校でも、職場でも、あるいは家庭でも、人間関係それ自体が、
モノローグ的な閉鎖状況から逃れられずにいるのかもしれない。
(あるいはネット社会に代表される、身体性から乖離したコミュニケーション様式へのとらわれ)
モノローグからダイアローグに開かれる場、いいかえれば感情体験が共有され、
支え合える場がどれだけ経験、実感できるかが、
人の安心、成長には欠かせないものなのかもしれない。
そんなことを連想しながら、著書を拝読し、氏(先輩)と話ができた時間をありがたく思った。

  

  

空のつらなり

Posted in コラム on 6月 16th, 2015 by ichiro – 空のつらなり はコメントを受け付けていません

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6月のいまの時期、
梅雨の合間の晴れ間があれば、
午前11時からわずか30分ほどの時間帯ではあるが、
診察室にある吹き抜けの、
さらに上の天窓から陽光が差す。
   

クリニックを設計したとき、
診察室から、
空が見えるようにしたかった。
  
空に向かって開かれた窓は、
普段は小さく切り取られた青や灰色の空を、
首を上に向ければ診察の合間に見せてくれるが、
1年のうち
この時期のこの時間帯だけ、
太陽光を拝ませてくれる。
  
ちょうど天窓と吹き抜けを通して差し込む陽光のもとにはお気に入りの版画。
敬愛する名嘉睦稔氏のこれは「上げ潮」という作品である。
  
沖縄の海と空を写し取ったこの絵に福島の太陽が交差すると、
空のつらなりをイマジネーションさせてくれる。
もちろん海もつながっている。
両手をうえに、
のびをしたい気持ちになる。
  
『島の人は昔から、
「上がりティーダ(朝陽)」と「下がりティーダ(夕陽)」とともに生きてきた。
元気をもらいたいときにはもちろん、「上がりティーダ」を拝むわけだが、
精神的に参ったとき、たとえば若い娘さんが不幸にも死産してしまったときなんかには、
「下がりティーダ」が必要になる。
夕凪の海水に浸かり、禊のように、悲しみを流し、痛んだ身体を癒すわけ』
そんな話を彼から聞いたことがあった。
  
人は古来から太陽とともに、海とともに生きてきたことは言うまでもない。
朝陽は誕生、夕陽は死を連想させる。
そうして夜は生と死が交錯する神秘の世界だ。
『もーあしび』という海辺での沖縄の秘め事が思い出される。
  
現代は深夜も明るい闇に閉ざされ、
ラインの返事が来るまで眠ることが許されない、
子どもたちの人間関係が窮屈に思えてならない。
高度情報化社会において、
他者の位置づけも変容し、
身体そのもので感情や素直な気持ちをやり取りすることが難しくなってしまった。
そしてこのことが抑うつや被害感、内向する苦しみに無関係でないことは、
誰にでも直感されよう。
  
『激しいエロス、性愛は人間のうちにも宿っている。
それは生命がけの行為であるがゆえ、
すさまじく、かけがえのないエネルギーなんだ』
そんなことも彼は言っていたかもしれない。
  
彼の野生と
琉球の神話に裏付けられた世界観は、
美しい光の世界だけでなく、
世界全体、
魑魅魍魎の跋扈する闇の世界も、
いっしょくたに作品に捉えんとする。
その作風に身を浸せば、
私にも、
現代の閉塞を突き抜けるヒントが生まれるような気がしてくる。
  
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いかに生命力を回復できるか、
いかに苦しみを越えてゆけるか、
いかにして闇をも味方にできるか、
いかに人がその生まれ持ったちからを発揮できるか。
  
精神科医として日々直面する喫緊の課題に、
もちろん安易な答えはないが、
陽は上り、陽は沈み、
日々繰り返すこの光と闇の世界に、
覚悟を決めて身を投ずれば、
およそ善悪を越えた
生命体の素直な発露、
そしてしばしのやすらぎのときも、
見えてくるものなのかもしれない。

地球交響曲

Posted in コラム on 9月 16th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

先月、明治神宮の杜で、地球交響曲第四番の上演があると聞き、出かけました。
地球交響曲(ガイアシンフォニー)は、1992年に第一番が上演されて以来、
現在第七番まで完成、今年冬には第八番が完成、上演される予定です。
ガイアシンフォニーは、自然と人間の共生を主題とし、
科学者や、芸術家、写真家、ときにはプロサーファーなど、
出演者の生きざまにスポットを当てることにより、
自然のなかの人間のありかたを問う、
ドキュメンタリーシリーズです。

これまでに、写真家であり珠玉の文章も遺された故星野道夫さんをはじめとして、
日本人の方も数多く出演されておりますが、
今回監督である龍村仁氏、第四番に出演された名嘉睦稔氏とお話できる機会もあり、
明治神宮の杜へ出かけました。
  
監督さんは、巨匠なのかと思い、こちら側がかまえてますと気さくな方で、
人間、あるいは地球の自然治癒力について主に話をすることができました。
名嘉氏とは、これまでも何度か、さまざまな機会にごいっしょさせていただいて、
まさに大自然の生命力そのもののような、作風と、人柄に、いつも圧倒されながら、
熱いパワー、エネルギーをわが身に、頂戴しています。
  
「個々人の生体がひとつの秩序、恒常性を持ったコスモ(小宇宙)であるように、
地球も大きな秩序、恒常性を持った宇宙である。
人あるいは、地球が、本来あるべき自然の姿で生きようとするとき、
その生命力がもたらす治癒力、回復力には、目を瞠るものがあるのだ」
        
人の身体あるいは精神が、本来持つ自然治癒力、回復力については、
昨年私も、「正常を救え」という本に出会い、書評を書く機会に恵まれて以来、
何かにつけ考え、感じ続けていることであり、共感して話をうかがいました。
人の本来備わる、治癒力、「正常なる」回復力を信じることが、何よりも精神科の治療に重要なのです。
  
このところの精神医学は、情報過多と、薬物療法を主とした科学偏重主義に偏り過ぎたきらいがあります。
もちろん科学としての医学が前提、必要条件ではあるのですが、それだけでは十分ではない。
昨今の精神医学が目指している、薬物療法、科学中心の単純な還元主義には、警鐘を鳴らす必要がある。
というのが、「正常を救え」という本の趣旨である。
万人に有効な薬というものは、ありえないからだ。
今はやりの言葉でいえば、エビデンス(科学的根拠)がある、治療法、薬物を選択するわけでありますが、
精神科の対象となる疾患というものは、個人個人において、疾病の詳細は異なり、
当たり前であるが、その人の育った過去、個人的資質、過去から現在における対人関係の様式、
現在のストレス、さらには意識化されていない葛藤が、症状として、現前している場合がほとんどです。
たとえば薬物ひとつにとっても、人それぞれにおいて、
効果や副作用の現れ方が異なるのは当たり前のことであるし、
規則正しい服薬をしたからといって、それだけで改善するという単純な図式ではありません。
なぜ症状が現れたのか、その背景を捉え、ストレスや周辺環境、人間関係、
あるいは自身の考え方や物事の癖のようなものを、少しずつ調整し、改善してゆく必要があります。
自覚をもって、自分が主治医になるつもりで。
そうして自分自身を追い込まず、リラックスできること。
こころに余裕を取り戻すこと。
簡単でない場合もありますが、こうした道程を辿ることで、
その人それぞれが本来持っている、自然治癒力が喚起され、
症状は緩和され、生きて在るよろこびを感じられるようになり、
精神、あるいは心身の病は、快方へと向かうわけです。
   
老若男女、心身の病は、そういう意味では誰にでも起こりうるものです。
人間とは、常にストレスや葛藤に曝されて生きてゆかざるを得ない、ある意味特殊な生き物ですから、
これは避けられないものなのかもしれません。
しかし、病に陥ったときこそが、次なる回復へのスタートでもあるわけです。
    
地球交響曲は、生命が、あるいは地球が、本来の姿を取り戻し、
回復してゆくための道標のような映画です。
そこには美しい映像と音楽に加え、
さまざまなシンクロニシティを含めた、
不思議な世界観が展開されます。
この冬の第八番の公開を楽しみに、
私も日々の臨床を進めてゆきたいと思います。

障がい者雇用に関するシンポジウム

Posted in コラム on 3月 10th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

2月22日はいわき市障がい者職親会が主催する、
第17回いわき地区障がい者就労支援セミナー、
シンポジウムに参加しました。
   
実際に就労している方々の苦労や、
雇用が継続でき、周囲に理解され、
働くことのできるよろこびの声を直に聞くことができ、
働く、
ということへの、
責任と、達成とが、
社会のなかで生きてあるという充実に、
直截つながる感覚であることを、
改めて思いました。
  
文化センターの会場には、
マルトやハニーズなど、
いわき市における障がい者雇用の推進をリードしてくださる企業の担当者や、
支援センターふくいん、けやき作業所、わくわく作業所など、
いつもお世話になっているNPOの方々も多く参加され、
顔の見える連携が、
今後も充実してゆくことを願います。
  
私にしても、
週に3日、
けやき作業所のお弁当にお世話になり、
杜のドーナツも、お豆腐も、納豆も大好きですね。
                           

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先週3日のお弁当。
大好きなカキフライも入っているではないか。しかも混ぜご飯。
ひなまつりの華やぎに、
わずかの昼休み時間ながら
気持ちが踊る。
    
ありがたいです。
  

     

自然な生命力の回復

Posted in コラム on 1月 19th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

1月の連休は、沖式ヨガを継承される、
龍村修氏を師とする、ヨガ合宿に参加しました。

ヨガといっても、
龍村氏の主宰するヨガは、
ゆっくりと伸びをしたり、
上半身のちからを抜いて、
丹田を意識した深い呼吸を行ったり、
より身体に正直に、
身体の痛みやここちよさを感じることにより、
生きるちからを回復させる哲学であり、
学びと実践の場なのです。
     

自然から離れ、
ストレスの多い現代社会では、
どうしても身体に立ち返る機会が減り、
私たちの身体はこわばり、
呼吸も浅くなり、
不安や抑うつ、肩こりや頭痛などの心身症状、
刺激物への依存などが生じやすい状態といえます。
    

1泊2日の合宿はスケジュールがびっしりで
中身が濃く、
呼吸法から瞑想に至るまで、
より多くのエッセンスを実践、体得できました。
(私は身体が極めて硬く、その分本当に大変でしたが)
気持ちよく身体を解し、
深い呼吸を意識するだけで、
自らのうちに宿る、
自然な生命力が喚起されます。
  
生きて在る自らの身体を、
1日1度は感じ、
感謝し、
いたわってあげることができれば、
不安や、抑うつ、心身症状を、
少しでも予防してゆけると思います。
これからも治療や、養生のヒントとして、
役立てて行ければと思います。

不登校に関する講演

Posted in コラム on 12月 31st, 2013 by ichiro – Be the first to comment

11月、12月と相次いで、不登校に関する講演を拝聴する機会にめぐまれました。
    
ひとつめは、いわきにおける不登校児支援の草分け的存在である「たけのこの会」が呼んでくださった、
学習院大学教授、滝川一廣氏による講演。
氏は、不登校という単語の歴史や、社会的背景を十分に踏まえたうえで、
学校を休む意味をいかにして積極的にとらえることができるかを伝えられ、
「休んでいる間をどうすごすか」を重要なテーマとされました。
同感です。
無理に登校を促すことではなく、
行きたくても行けないのか、行くことに意味を感じないのか、
行くことが苦しくて、身体が拒絶反応を起こしているのか。
こうした話を進めながら、
もし行けないとしたら、
休んでいる間を、どのように過ごしてゆけるのか。
治療は、こうしたテーマをともに考え、
実践してゆくための、プロセスそのものです。
     
ふたつめは、「ひきこもり」の研究から多岐にわたる著書において
現在も活発に発言されている、筑波大学社会保健学教授、斉藤環氏の講演。
こちらは、いわき市保健所が呼んでくださり、いわきでの講演が実現しました。
氏は、不登校ならびにひきこもりに苦しまれる家族に向けて、
本人が安心してひきこもれる(不登校を受容できる)関係づくりを推奨するとして、
「北風より太陽」の関係、覚悟と根気、信じて待つことの重要性を話されました。
会話、親子のコミュニケーション、相互性の回復を第一に、
という氏の趣旨にはおおいに共感でき、
まずは「家庭において笑顔が出ること」を第一目標とする、私の臨床感とも一致します。
不登校にせよ、ひきこもりにせよ、苦しんでいるのは、当の本人です。
ひとは、理解、共感されることにより、苦しみが和らぐものです。
そうして笑顔と生命力が回復したら、次の段階に進めばよいのです。
そんなことを再確認しながら、
氏の、明晰でかつ底辺に温かみの溢れるお話を拝聴しました。
     
昼休みには、保健所長とともに、斉藤環先生と、
震災後のいわきの現状を、少しだけお話する機会にめぐまれました。
2年半が過ぎたとはいえ、まだまだ避難生活の継続による諸問題
(このなかには不登校の問題も含まれます)が、解決したとは言い切れません。
サテライト校が開設されるなど、しかしその回復途上のさなかで、希望もあります。
今後とも、少しでも、前に進んで行ければと思います。
   
滝川一廣先生とは、懇親会でもごいっしょでき、
学校の在り方や、個人個人の回復への熱い思いについて、
大いに語り合うことができました。
先生が、いわきの地酒をたくさん召し上がってくださり、
地元の人間としては、うれしい限り。
お強くて、驚きました。
重ね重ね、ありがとうございます。
   
それでは来年も、
いわきに多くの先生方が来て下さり、
少しずつでも、
よき年となりますように。

不登校、ひきこもりと自己愛の傷つき

Posted in コラム on 12月 31st, 2012 by ichiro – Be the first to comment

今年拝聴した講演で印象に残ったもののあとふたつ。

石川憲彦氏による「不登校」についての講演。
これは「たけのこの会」という、いわき市の、不登校児に関わる親の会が中心となって催された。
氏の講演は、何より、子どもたちの本来持つ、生き生きとした生命性、それ自体を大切に育てる、
という視点に基づいており、私の臨床感と通底し、まるで私に話しかけてくれているようにさえ感じられ、うれしかった。
「うつ」とは生命が休むことを必要とする状態。
「不安」とは生命が生存の危機に瀕したときに感じる当たり前の感情とし、
自らを守り、うつや不安を乗り越え、生きるためにはどう工夫すればよいかなど、具体的な内容にも話は及んだ。
何より石川氏自身が、還暦を超える年齢を感じさせぬほど生き生きと話されている姿には、敬服した。
私自身がいのちを吹き込まれたような、すばらしい講演でした。

最後は、暮れ間近に郡山で行われた、市橋秀夫氏の講演。
氏も渋谷区で大きな外来クリニックを開院されている、著名な先生。
「現代のうつ」と「自己愛の病理」について。
パーソナリティ障害の概念を下敷きに、詳しく、わかりやすく話してくださった。
主に、学校や社会で理不尽な目に晒されたときに生じるうつについては、
必ずといって自己愛の傷つきがある。
健全な自己愛の成長とは、傷つき体験によって容易に折れてしまわない、
真に自分自身を大切にできる能力を育むことである。

私も20年に渡る臨床のなかで、
パーソナリティ障害の治療については、かなり熱心に取り組んできた。
現在の(特に若年者の)うつの加療には、こうした成長の概念が欠かせない。
数年前に、自己愛性パーソナリティ障害を題材にした映画「凍える鏡」を監修したことを思い出す。
自己愛とは、しっかりと、自分自身を愛することのできる能力です。
それは誰にでもはじめから無条件に与えられるものではなく、他者とのやり取りを通し、ときには傷つけられながらも、こころから安心を得る体験を通じて、育んでゆくものである。
という話も何度かさせていただいた。
言葉にすると簡単ですが、これは大変な道のりです。
ひとつずつ、一歩ずつです。


写真は2007年公開、映画「凍える鏡」から

「人薬」、「不登校」、「自己愛」

Posted in コラム on 12月 16th, 2012 by ichiro – 3 Comments

今年拝聴した講演のなかで、こころに深く残るものが3つありました。

2月の斉藤環氏による、「社会的ひきこもり」について
11月の石川憲彦氏による、「不登校児との関わり」について
同月の市橋秀夫氏による、「うつ病と自己愛の問題」について

いずれも秀でた精神科医による、優れた講演内容であることはいうまでもないが、

斉藤環氏の講演では、「人薬」という言葉が印象に残った。
氏はひきこもり研究の第一人者で、震災後は原子力発電所に反対する論説をまとめた著書を発表するなど、
おもにラカン派精神分析の英知を基に、精力的な活動を続けておられるが、
臨床のまなざしはあたたかい。
なかでも一番の薬は人間関係、しかも良好な人間関係がもたらすものだとする、
「人薬」の教えには共感した。
いかに、自分が信頼できる人、味方を見つけ出すことができるか。
私も日々の臨床のなかで、繰り返し、繰り返し、言い続けている言葉でもある。
最近は特に、「味方」、ということばが好きになっている。
これはアーチェリーの銀メダリスト、山本博氏が、テレビで言っていた言葉だが、
なぜか、響いた。
学校へいけず、苦しいときに、
ひとりでも仲間になってくれる、友達や先生がいること。
そこから、苦しみの悪循環は突破され、
良好な「人薬」も生まれてくるものなのかもしれない。
たったひとりでもいいのです。

一番の薬が、安心できる人間関係、つまりは「人薬」であることを、
実感できると本当によいです。

つづいて石川氏の話も、すばらしいものでした。
次回にまた続きとさせていただければ助かります。

夢の不思議

Posted in コラム on 12月 16th, 2012 by ichiro – 1 Comment

当日朝、夢を見て、
それが大きな舞台に出かける夢だったもので、
アリオスチケットセンターにコールして、
仕事のあと駆け込んだこのコンサートが、
今年一番の音楽だったかもしれない。

姫神といえば、「神々の黄昏」のテーマ曲で有名だが、
民族音楽のようなプリミティブな楽曲は身体の芯に響き、
途中、「かもめの視線」という、
いわきの海岸線をパラグライダーから撮った映像がバックに流れ、
震災前の美しい塩谷崎灯台や波立海岸が映し出され、
こころを奪われた。

ラストには合唱で、
「いわき・いのちの賛歌」
この日のために姫神氏が作曲してくれた楽曲を、
合唱部の高校生が唄ったのだが、
不登校の生徒なども積極的に受け入れてくださる、
私のよく知った高校の生徒たちも熱唱していて、
思わず涙ぐみそうになった。
年齢のせいも無論ありますが。

それから、以前にも増して、
音楽に乗って夢のなかで、
いわきの海を飛べるようになった。

特に波立から四倉海岸にかけては、
子供のころから繰り返し訪れ、潜った海で、
大好きなエリアだ。
と今度は現実の世界で、
同じ月に二度も国道6号線で、
「かもめの視線」のロゴのワゴンと隣り合った。
よほど車窓を開け、声をかけようと思ったが、
「私もいつも、夢で飛んでいます!」
というのも変な感じがして遠慮した。(当たり前だが)

夢というのは不思議なもので、
見たいものも、見たくないものも、見てしまう性質がある。
だからこそ苦しさや恐怖の感情を、夢は忠実に表現してしまう。
特に精神的な困難が回復してゆく過程において、
夢を見ることのできる能力は鮮やかに回復してゆく。
やがて苦しみの夢が悲しみの性質を帯びるとき、希望のひかりが見えてくる。

ゆき詰まった状態のときほど、
私が夢分析を大切にする理由でもある。

夏井川の夕暮れ

Posted in コラム on 1月 31st, 2012 by ichiro – Be the first to comment
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火曜日の勤務先である舞子浜病院から帰る途中、夕闇を映す夏井川の美しさに、車を停めた。
小さい頃、自転車で何度も通ったこの川べり。
変わらぬ景色。
氷点下の空に川面が透きとおり、またたくのは一番星。
星をめざすように、ペダルを全力でこぎ続けた頃。
ちぎれるほど耳たぶが冷たくなったものだ。

白鳥の子育ても仕上げの時期で、思春期?の成鳥が飛行練習を終え、身を休める。
白の衣装をちょっとだけ不器用に折りたたむ。
あたりまえだが白鳥はこの寒空のなか、夜を明かす。
寒くないの?
問うていた息子も、もうすぐ声変わりだ。

暗い闇をしずかに受け容れ、白鳥たちは身を寄せ合う。
午後5時の放射線量を告げる男の声が、カーラジオから流れる。

夏井川

Posted in コラム on 3月 9th, 2011 by ichiro – 2 Comments

ひまのあるときは白鳥を見にゆく。

いわき市内であれば校歌には必ず歌われる夏井川に、たいら市街を流れる新川がそそぐ場所だ。

今年も多くの白鳥たちが、子育てにやってきている。

灰色の毛はずいぶん生え替わっているから、巣立ちの日も近いのだろうか。

「先生、やりました。合格です」

「だめでした。でも精一杯やりましたから、しょうがないです」

 

友人との葛藤や、身体の症状。

思春期ならではの悩みに苦しむ、青年たちの吉報や、

さまざまの知らせに一喜一憂するのも、この季節のことだ。

雲は自由に形を変え、

たえまなく、流れてゆく。

もう一ヶ月もすれば、白鳥たちも、

一羽残らず、旅立ってゆく。

(ひとはそう簡単にとべるわけではないのだけれど)

 

 

 

「あおぞらうつす~なついがわ~」

母校の歌は、忘れないものなんだな。

よい思い出ばかりではないけど、

つまづいたとき、

帰ってくる場所は、

ここにあるのかもしれない。

ヒージャーの記憶

Posted in コラム on 2月 12th, 2011 by ichiro – 7 Comments

沖縄の中学生が撮った、「やぎの冒険」という映画を観た。

第一回いわきぼうけん映画祭(by いわきアリオス)に、招待上映されていたのだ。

やんばるの地、今帰仁を舞台に、飼いヤギが汁となって、さばかれるまでの葛藤を描いた作品だ。

そのあと現場監督と打ち合わせ。

いま建てているクリニックも、今日あたりが上棟式という。

沖縄なら、スラブウチといって、ヤギをつぶして食べる習わしだ。

お祝い事に、自然からの恵みを、みなでいただく。

映画のラストの、そんなシーンが、まぶしくもなつかしかった。

病棟の新築や、友人の新居でのスラブウチ、娘が生まれたときのお祝い。

沖縄に住んでいたころ、自分も何度か、ヤギ(沖縄語ではヒージャーという)汁をいただいた。

ちからがわき、目が覚めるほどにうまいのだが、次の日の朝まで、強烈な匂いが残ったものだ。

ひとは、多くの生きものたちから、数限りない生命をいただき、いったいなにを、この世界に返してゆけるのだろう。

当院の由来である「いわきたいら」は、山村暮鳥の詩からの引用

Posted in コラム on 1月 20th, 2011 by ichiro – Be the first to comment

「おーい雲よ

ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか

どこへ行くんか

ずっと
いわきたいらのほうまで行くんか」