夜ノ森のさくら
富岡生まれの臨床心理士さんが、実家の空気の入れ替えをするというので、同行した。
この時期、浜通りでも有数のさくらの名所、富岡町夜ノ森地区のさくらを観たいと思ったこともあるが、
そればかりではない。
人口およそ1万5千人の、全町民に避難指示が出されている富岡町の、
帰還したくても帰還できない実情を、多くの方々からお聞きするうち、
一度はこの目で何かを確かめたいと思ったのだ。
海沿いに位置する、JR富岡駅周辺は、
震災の爪痕を色濃く残し、
駅からのぞむ青い海原が印象的だったが、
高校時代、
毎日この駅からいわきまで通学したという臨床心理士の彼によれば、
駅から海が見渡せた記憶はないという。
つまりは津波で海沿いの住宅地が流され、
加えて放射能汚染のため立ち入りも制限され、
まだ復旧が手つかずのままであるのだった。
しかしながら彼の通った、
富岡一小、富岡一中は除染され、
街中の道路も補修工事がはじまっており、
まるであかりが灯ったように、
街の中央に位置するガソリンスタンドが、
営業を再開しているのには驚いた。
この街に戻ろうとする、
人々のつよい意思を感じた。
夜ノ森のさくらは、
一部が帰還困難区域に指定されておりバリケードで封鎖され、
途中までしか立ち入りできなかったが、
入口から数百メートルにも及ぶさくら並木は息をのむほど、
美しく咲き誇っていた。
静かに咲く花々は、
春風に揺られ、花を散らし、
誰も通らないアスファルトに花びらをしきつめてゆく。
「松が岡公園(のさくら)は平和でしたね」
富岡で生まれ育った心理士は、そう言って黙った。
確かにいわきの松が岡公園には、
幼子の駆け巡る姿がある。
3年という月日の長さ、
避難生活の長さを案じながらも、
しかし自然は鮮やかにそのままであり、
もう一度
人と自然が手を取り合って生きてゆくための第一歩は、
確かにいま踏み出されなければならないのだと、そう思った。