福島と沖縄の友情
沖縄の副県知事をされている、
高良倉吉氏がいわきに来られるということで、
懇親会に参加させていただいた。
氏は、明日には沖縄に戻り、国際問題の会議もあるという忙しさだが、
昨日は福島県庁にて、ひきつづき震災後の沖縄県からの支援の継続を約束してくださり、
本日は、富岡地区を主に視察され、今宵は沖縄を愛するいわき市民、いわきに在住する沖縄県民が集い、
酒宴とあいなった。
氏は、沖縄県でも伊是名島という離島の生まれで、
震災後、いわきに在住されている名嘉幸照氏と同郷であり、
私が敬愛する版画家、名嘉睦稔氏も同じ島の、しかも同じ勢理客という集落の生まれということなのだ。
名嘉幸照氏は、日本屈指の原子力発電所の建築、メンテナンスの技術者で、40年来富岡で、原子力発電の安全を見守ってこられた方だ。
震災後まもなくから3年を過ぎたいまも、事故の収束、廃炉に向け、八面六臂の活躍をされている。
最近上梓された著作のなかで彼は、先の大戦で、日本の犠牲になった沖縄と、いまの福島の状況が酷似していることを伝え、
単なる、負の遺産としての類似だけではなく、いまこそ沖縄と福島が手を取り合って、
負からはじまったとしても、逆転の発想で、将来を切り拓いてゆけるはずだと伝えている。
高良氏は、琉球大学の名誉教授をされ、
琉球の文学や、琉球史の研究を専門とされる。
我がいわきの銘酒「又兵衛」をうまいと飲んでくださり、
これからの沖縄や福島の抱える問題、向かうべき未来を話してくれた。
福島-沖縄を結ぶ、定期航路の復活。
いまだに沖縄に避難中の方々の話。
福島の子供たちが、沖縄の文化に触れる企画の継続。
逆に沖縄の子供たちが、東北の文化に触れてもらう計画。
私にしても、沖縄で過ごした時間は長く、
第二の故郷ともいえる沖縄と、福島をつないでゆく仕事をしたいと思っている矢先でもあり、
楽しく、うれしい時間だった。
江戸時代、福島から沖縄にたまたま渡り、
じゃんがら念仏を琉球に伝え、エイサーの起源とされる、
袋中上人の築いた菩提院の住職さんとも、又兵衛を酌み交わすことができた。
もちろんいつもお世話になっている、
沖縄料理店のアンマーと、ネーネーとも。
沖縄の海は、美しい。
生命にあふれているから、私もしばしば訪れる。
でも福島の海と森だって、本来負けないくらい美しいのだ。
診察室に飾ってある、名嘉睦稔氏のこの版画は、
伊是名島の大いなる海が、原景だ。
基地にせよ、原発事故にせよ、
故郷を追われた悲しみはそう簡単に消えるものではないが、
私たちの原景はひとつであり、
この絵を過去から未来への窓として、
誰もがつながってゆきたいと思う。