震災から5年を過ぎて
震災から5年の節目。
いまの被災地をめぐるバスに乗った。
道の駅よつくらに停車。
大がかりな堤防工事が進められ、
子供のころからよく遊んだ、
海が見えなくなるのは残念でならない。
つづいて久ノ浜の浜風商店街。
仮設の商店街は小学校の目の前にあり、
なんと駄菓子屋もあるではないか。
小さな男の子が買い物に来ていた。
よく見れば
垂涎もののプラモも並ぶ。
とても仮設とは思えない、
すばらしい品ぞろえ!
続いてバスは北上し、楢葉の「ここなら商店街」へ。
ここもプレハブの商店街で、
昨年9月にようやく避難指示が解除され、
自宅に戻ることのできた人たちや、
原発あるいは除染作業員たちでにぎわっている。
この日はおまわりさんも
休憩時間。
こうして制服で買い物することにより、
治安維持効果をも期待されている。
昼食はJヴィレッジの近く、
日本代表サッカーチームに帯同し、
彼らの食事を一手に引き受ける西さんの運営する、
アルパインローズでいただいた。
根菜がたっぷりと入った、
すいとんがうまかった。
ここ楢葉の郷土料理で、かつての代表監督トルシエが母の味と絶賛してから、
「マミーすいとん」と呼ばれているそうだ。
案内役を務める、福島大学の開沼氏が、
「若いんだから、食べれっかい」
「……あ、はい」
と参加者の方々に食べきれないごはんをすすめられ、
しっかりと食べておられるその若さと、真面目さにうれしくなった。
午後の陽のまぶしい天神岬。
望遠鏡の先には、
洋上に設置された
浮動式大型風力発電の風車がまわる。
汚された土地を、
再生エネルギーの基地としても再起する計画は
はじまったばかりだ。
北にはフル稼働する
火力発電所と、広大な土地に汚染廃棄物が敷き詰められている。
バスは富岡まで、北上する。
駅前の商店街も駅自体も撤去され、
低線量の廃棄物は、日々焼却処理される。
海辺に建つ白い建造物が、臨時の焼却施設だ。
国道に近いショッピングモールも、
以前訪れたときは荒れ果てていたが、
なかを覗き込むと掃除がなされ、
早ければ、来年4月の帰還に向け、
今年中に営業を再開するという話も聞く。
富岡町では、この3月には特例宿泊が開始されたが、
しかし申し込んだ住人は1%に届かないのが現状だ。
津波から避難誘導し、
殉職された警官が乗っていたパトロールカーが、
真新しい慰霊碑とともに、祀られていた。
震災後、5年を経ても、
なまなましい感触は、
拭えない。
帰り道、
地物を扱う水産業者を訪れ、おみやげタイム。
市の魚でもある「目光」を含め、
数はまだ少ないがいわき産の魚介類が、流通し始めているのを実感できた。
試験操業の対象魚種も72に増え、実際に地物を見るのはうれしい限りだ。
メヒカリは唐揚げも刺身もうまいが、開いて一夜干しにするとおどろくほどうまい。
バスのなか、
昨年も一昨年も福島県産米の全袋検査で、
放射能の検出がゼロであることなど、
開沼氏の講義も熱を帯びた。
3月11日当日は、
いわき駅前にて、
鎮魂の合唱が捧げられた。
地元中学生の歌声が、
寒空に響く。
思えばあの日も、
寒い夜だった。
富岡町夜ノ森地区の桜並木を模した
アーケードのイルミネーションも点灯され、
それぞれがそれぞれの
6年目を迎える。