想像するちから~その2
精神神経学会でご講演をいただいた
松沢氏のもうひとつの実験。
パソコンで0.5秒間という瞬時に表示された数字の場所を
数字が消えてから
記憶だけをたよりに
1から10まで
指で順にたどるというもの。
チンパンジーにはいとも簡単にできるこの実験が、
人には誰ひとりとしてできないのだ。
たとえ優秀な京都大学の学生の誰もが。
野生に生きるチンパンジーは、
瞬間、瞬間の記憶に長け、
人は長期記憶(たとえばエピソード記憶)とともに生きる。
この周知の事実が実験でも確かめられる。
神が人間を作り出したとする西洋人には、
にわかに受け入れられなかった実験とのことだが、
チンパンジーのほうがある部分では
ヒトよりすぐれた能力を持ち合わせているのだ。
こと瞬間記憶に関していえば。
しかしながら赤色を「赤」という単語に、
青色を「青」という言葉に結びつける実験となると、
チンパンジーはたちまち苦闘する。
人は言葉を生み出し、
概念を形成することができるから
今目の前にないものを、あるかのように想像することができる。
たとえば「赤」と青色で書かれた文字から、赤色を想像することができる。
言語は記憶を構成し、
よくもわるくも人間固有の財産、能力となった。
しかし言語による(あるいは言語以前の)記憶力、想像力は
ヒトにかけがえのない能力だが、
過去や未来という時制を生みだし、
後悔やフラッシュバックさえときには生じてしまう。
かなしみや苦しみの源泉となる。
臨床をしていると、
そんなことに日々気づかされる。
特に震災後は
圧倒的な喪失体験が多かったから、
ヒトは苦しみとともに、生きざるをえない。
いまここに
この瞬間を安心して生きることが
治療には欠かせないのだが
後悔や悲哀、フラッシュバックや恐怖に苛まれるのも
ヒトの想像力のなせる苦しみが故
避けて通れないものなのかもしれない。
だからこそヒトという種族は
死者を弔い、
死者とともに生きる。
死という絶対的な苦しみとともに、
生きざるをえない。
しかしこうした言語と身体の結び目にある
人固有の必然的な苦悩、
死というものといかに向き合い
いかに受け入れるかの覚悟を持つとき、
想像するちからは
過去(の苦しみ)や未来(に訪れる不安)という時制の呪縛から解き放たれ、
自由に羽ばたき、
いまを生き抜く、
新たな視点を開くのかもしれない。
そう信じて、
(さまざまな外傷が生む)記憶に取り組む。
身体をのばし
リラックスし
心地よさを感じる。
いまを生きるコツは
このかけがえのない
取り換えのきかない
身体性からの
出発にある。
次回は
養老孟司氏の「意識の博物学」
と題された講演から。