10月の土曜日の診療について
Posted in お知らせ on 9月 29th, 2015 by ichiro – 10月の土曜日の診療について はコメントを受け付けていません10月の土曜日の診療は、
24日に行います。
3、10、17、31日は
休診となります。
よろしくお願い申し上げます。
10月の土曜日の診療は、
24日に行います。
3、10、17、31日は
休診となります。
よろしくお願い申し上げます。
9月の土曜日の診察は、
26日に行います。
5日、12日、19日は
休診となります。
よろしくお願い申し上げます。
8月の土曜日の診察は、
1日、29日に行います。
8日、15日、22日は休診となりますので、
よろしくお願い致します。
なお
8月11日から16日は、
お盆のため休診と致しますので、
よろしくお願い致します。
7月の土曜日の診察は、
4日に行います。
11日、18日、25日は休診といたします。
よろしくお願い申し上げます。
また7月16日午後の診療と、翌17日の診療は、
院長の出張により、臨時休診といたします。
大変ご迷惑をおかけしますが、
よろしくお願い致します。
いつもならジョギングで向かう
常磐湯本温泉
「さはこの湯」だが、
草いきれの新川の堤防を、
自転車で駆け抜けてみた。
初夏の暑い日差しのなか、
草は高く、
ずいぶん走りづらくもあったが、
ちょっと苦しくなれば必殺のアシスト機能を用い、
加速する。
ぐっとスピードを増すその快楽に、思わず
「加速装置!」
とつぶやいてしまう。
古いか。
確かサイボーグ009のリーダーの特殊能力だったように思う。
奥歯を噛みしめスイッチをオンすると、
全身がすっと加速するのだ。
新しくなった内郷駅から6号に入り、
湯本への坂を越えれば公共浴場「さはこの湯」だ。
新しいスタンプカードをもらう。
思えば昨年スタンプあとひとつのところまでゆきながら、
10個中、9個まで押されながら、
達成できなかったカードである。
3月30日締めなので、要注意なのだ。
今年こそ10個到達を目指さざるをえない。
運動のあとは体重測定。
いつも減量を実感できる。と思いきや、
「あんちゃん。それおかしいべ。すぐなぐねえか」
とあるとき声をかけられた。
そうなのだ。
うすうす感づいてはいたのだが、どうもこの「さはこ」の更衣室の体重計は、自動でサバをよんでくれる。
帰って測ると、いつも3㎏以上は増えているから、
どうやら帰りに食べてしまうだけではなさそうだ。
おんちゃんも気づいていたのだろう。
このやっぱりうれしい体重計を。
声かけてくれたところを見ると、
よほど自分も減った(とサバよんでくれる)体重に、にんまりしていたに違いない。
でもたとえサバでも、止められない。
この自動サバよみ体重計で、走って減った(ように感じられる)よろこびもあり、
さはこに通ってしまうのかもしれない。
(もっとも最近は、やはり「さはこの湯」で、おんちゃんに声をかけられて教えていただいた、
さらなる穴場に通ってもいる。これはまた今度)
湯上がりの汗をだらだらさせながら、
湯本駅前、
暑い日にあえて
屈指の沖縄そばですね。
運動した分、(減ったであろう体重も)すぐに戻してしまいますが、
ここのはソーキ、ラフテー、テビチまで入って、止められません。
そとは真昼には30℃近くまで気温が上がり
店外の陽射しは沖縄と錯覚するほど。
帰りはゆったり館の前を通り、
21世紀の森公園を過ぎる。
左にアジサイ、右手にさつき、
まさに初夏。
下りの風と、上りは「加速装置」を発動し、心地よい。
それにしても
「あんちゃん」と「おんちゃん」の境目は、どこなのか。
そろそろ自分も「おんちゃん」だろうか。
どこからが「おんちゃん」なのだろうか。
ああそうか。
自分より年上の方からみればかろうじて「あんちゃん」キープだろうが、
子どもたちや後輩からみれば確実に「おんちゃん」で決まりだろうな。
自転車の運転中は、
ひまなので、
そんな当たり前のことを考えつつ、
たとえ「おんちゃん」だろうが、
汗を流し、疾走できる、いまこのときを思う。
もちろん筋肉痛が3日も残り、
かなり疲れやすくなってはいるが、
やはり今少しだけ
「あんちゃん」と「おんちゃん」のあいだでいたい。
6月のいまの時期、
梅雨の合間の晴れ間があれば、
午前11時からわずか30分ほどの時間帯ではあるが、
診察室にある吹き抜けの、
さらに上の天窓から陽光が差す。
クリニックを設計したとき、
診察室から、
空が見えるようにしたかった。
空に向かって開かれた窓は、
普段は小さく切り取られた青や灰色の空を、
首を上に向ければ診察の合間に見せてくれるが、
1年のうち
この時期のこの時間帯だけ、
太陽光を拝ませてくれる。
ちょうど天窓と吹き抜けを通して差し込む陽光のもとにはお気に入りの版画。
敬愛する名嘉睦稔氏のこれは「上げ潮」という作品である。
沖縄の海と空を写し取ったこの絵に福島の太陽が交差すると、
空のつらなりをイマジネーションさせてくれる。
もちろん海もつながっている。
両手をうえに、
のびをしたい気持ちになる。
『島の人は昔から、
「上がりティーダ(朝陽)」と「下がりティーダ(夕陽)」とともに生きてきた。
元気をもらいたいときにはもちろん、「上がりティーダ」を拝むわけだが、
精神的に参ったとき、たとえば若い娘さんが不幸にも死産してしまったときなんかには、
「下がりティーダ」が必要になる。
夕凪の海水に浸かり、禊のように、悲しみを流し、痛んだ身体を癒すわけ』
そんな話を彼から聞いたことがあった。
人は古来から太陽とともに、海とともに生きてきたことは言うまでもない。
朝陽は誕生、夕陽は死を連想させる。
そうして夜は生と死が交錯する神秘の世界だ。
『もーあしび』という海辺での沖縄の秘め事が思い出される。
現代は深夜も明るい闇に閉ざされ、
ラインの返事が来るまで眠ることが許されない、
子どもたちの人間関係が窮屈に思えてならない。
高度情報化社会において、
他者の位置づけも変容し、
身体そのもので感情や素直な気持ちをやり取りすることが難しくなってしまった。
そしてこのことが抑うつや被害感、内向する苦しみに無関係でないことは、
誰にでも直感されよう。
『激しいエロス、性愛は人間のうちにも宿っている。
それは生命がけの行為であるがゆえ、
すさまじく、かけがえのないエネルギーなんだ』
そんなことも彼は言っていたかもしれない。
彼の野生と
琉球の神話に裏付けられた世界観は、
美しい光の世界だけでなく、
世界全体、
魑魅魍魎の跋扈する闇の世界も、
いっしょくたに作品に捉えんとする。
その作風に身を浸せば、
私にも、
現代の閉塞を突き抜けるヒントが生まれるような気がしてくる。
いかに生命力を回復できるか、
いかに苦しみを越えてゆけるか、
いかにして闇をも味方にできるか、
いかに人がその生まれ持ったちからを発揮できるか。
精神科医として日々直面する喫緊の課題に、
もちろん安易な答えはないが、
陽は上り、陽は沈み、
日々繰り返すこの光と闇の世界に、
覚悟を決めて身を投ずれば、
およそ善悪を越えた
生命体の素直な発露、
そしてしばしのやすらぎのときも、
見えてくるものなのかもしれない。
初夏の風につられ、
念願のアシスト付自転車を手に入れた。
試してみると、
小学校のとき苦労したお城山の急坂も押さずに上れた。
平橋を渡り、
蛙なく田植え直後の田園を抜け、
これまた行きたかった神谷の回廊美術館。
龍の背を模した回廊が斜面を駆け上り、
子供たちが描いた桜の絵の数々が、
葉桜のいまも回廊に花を咲かせている。
ボランティアの方々が全身に汗して、
建築をつづけていた。
樹上の家。
風が通る。
ぶらんこも何十年ぶりだろう。
空飛ぶ感じ。
この麓をこれから100年かけて
99000本の桜並木で埋め尽くすという。
震災後、
負の遺産ばかりに負けじとする発想力だ。
調子に乗り
新舞子から
薄磯に出た。
被災した集落は跡形もなく、
堤防工事が進められていた。
観光客にまざり、
生まれて初めて塩谷崎灯台、通称「豊間の灯台」にのぼる。
灯台から薄磯を見下ろす。
集落は失われても、海の青みは変わらない。
中学生のとき、夏休みは毎日通い、
泳ぎを競い合った海だ。
海の家や、テントに連泊しての、家出生活。
独り立ちへのはじまりだった。
初夏の風を満喫したが、
海を背にすぐ
まさか突然のバッテリー切れ。
う~ん37㎞は大丈夫と取扱書にはあったのだが、
城山とか、弁天様とか調子こいて上ったからか、
20㎞くらいで切れてしまった。
帰りの道は高久を通る、
友と自転車も競い合った農道なのだが、
アシストなしは泣きそうになるほど、
きつかった。
尻はごつごつ。
足はパンパン。
筋肉痛。
やれやれ。
それでも意地でも
年齢には負けじと
のぼり坂を降りては押さなかったけれど。
6月の土曜日の診察は、6日に行います。
13、20、27日は休診となります。
よろしくお願い致します。
なお、6月29日の月曜日は、
院長出張のため、臨時休診といたします。
ご迷惑をおかけしますが、
どうかよろしくお願い申し上げます。
花めぐりはつづく。
2~3時間でも余裕があれば、弾丸で出かける。
合戦場のしだれ桜。
二本松市。樹齢150年。三春の滝桜の孫桜とも聞く。
「平安時代に朝廷の命で奥州征伐に来た八幡太郎義家と阿部貞任・宗任兄弟が戦ったとされる地に咲き誇ることから合戦場のしだれ桜と呼ばれるようになりました」
とあるから歴史は古い。
菜の花とのコントラストが美しい。
こちらは越代の山桜。
古殿町。
樹齢400年。
個人的にはこの樹が好みですね。
野趣と存在感は格別と思います。
5月に入り、クマガイソウ。
野生蘭のなかま。
戦国武将熊谷直実(くまがいなおざね)にちなんだ名称。
膨らんだ形の唇弁を昔の武士が背中に背負った母衣(ほろ)に見立てたとのこと。
こちらは田人町。
前の集団が入り口で騒いでいるので「なに? なに?」と近づいてゆくと、
ちょうど2000人目の来場者なのだという。
見れば、自分の券は2004と番号が打たれている。前のグループは4人連れだから、
おー、あと1分、1グループ早ければ記念パネルを頂けたのか。
同じ「熊谷」なだけに惜しかったかな。
なんて思いつつ、渋いクマガイソウの群落も見事である。
最後は今日ですね。
M病院の院長先生に教えて頂いた名所。
高柴山。
小野町。
山頂一面をヤマツツジが埋めている。
この真紅には圧倒されます。
新緑と青空と、いうことなしです。
一番奥が山頂です。
迷路のように入り組んだツツジの陰で、
みな手弁当を広げている。
クリニック裏手、
松が岡公園のツツジの回廊も思い出しますね。
幼稚園の遠足はいつもあそこでしたから。
いまは補修中ですが
必ずや復活してほしいものです。
福島の春。
どこもこの年齢になって、
初めて訪れた場所でした。
教えてくださった方々に、感謝です。
よいところ、
たくさんあって驚きです。
深呼吸できました。
5月の土曜日の診察は、9日に行います。
よろしくお願い致します。
なお、5月1日は12時30分までの診察になります。
5月7日、8日は、診療時間を延長し、
木、金曜日ですが、19時30分まで診察を行います。
よろしくお願い申しげます。
4月12日はひさしぶりの休日でもあり、
しばらくぶりに晴れた。
さくらを詣で、花をめぐった。
まずは磐城平城。
この本丸城跡は私有地であったため、
数十年来閉鎖されていたというが、
この4月1日から週末に限り公開されることになった。
12日は「平城さくらまつり」
多くの人がつめかけていた。
ものみが丘と呼び、
小学校時代はよくこの敷地を駆け回って遊んだものだ。
さすが本丸跡、
ここから平の街並みのすべてが見渡せるのである。
35年ぶりに訪れることができた。
その足で同じ城山の某高等学校。
新たにゆかりのできた場所だが、
高校時代は男子校生にとっては聖地?でもあり、鬼門?でもあり、
こわくて
一度も近づいたことはないのだった。
よって初めて訪れる。
ここの桜も地名のままに、さすがに見事だ。
たんご沢から城山を下り、
クリニックへ。
うん、2年ぶり、2度目の開花。
数もずいぶん増えてきた。
今年は桜のあたり年かも。
つづいて公園へまわる。
年に一度の渋滞の横を、すり抜け歩く。
松ヶ岡の上は整備中で入れないが、
遊具のある第二公園は多くの家族連れでにぎわっていた。
足元に一輪。
さくらに負けるな。
アスファルトに負けるな。
そして大好きな新川。
桜のトンネル。
いつも走る堤防も満開だ。
アリオス前。
対岸の菜の花もよい香りである。
車に乗り換え、北上。
どこでしょうか?
ふたば未来学園高開校で話題の広野町。
広野小も生徒が少しずつ戻っていると聞きます。
二つ沼運動公園からも、子どもたちの歓声が聞こえました。
ここは?
楢葉町「ここなら商店街」
プレハブに描かれた桜も見事。
作業員だけでなく、一時帰宅の方のお腹も胸も
いっぱいに満たしてくださるのだと聞きます。
バリケードの向こうは帰宅困難区域で立ち入りは許されませんが、
今年も夜ノ森のさくらは咲き誇ります。
帰りは川内村を回りました。
まだ避難指示の解けない場所に
静かな沢を見つけました。
そして夏井川に沿って下り、
磐越東線もこの時期徐行運転をするという名所。
無人の江田駅近くのツツジ(アカヤシオ)
夕暮れにぎりぎり間に合いました。
途中山峡の桜もところどころ夕陽に灯り、きれいでした。
しめは小川の名だたる神社。
階段を上れば
ライトアップも妖艶です。
久しぶりの休日、
久しぶりの晴れ間に、
徒歩で、車で、走り回りました。
東北の春です。
4月の土曜日の診療は、
11日に行います。
4、18、25日は休診と致します。
ご迷惑をおかけしますが、
よろしくお願い致します。
また本年4月より、
木曜日に限り午後の診療時間を、
午後6時までと致します。
ご不便をおかけしますが、
よろしくご了承願えれば助かります。
3月の土曜日の診察は、
14日に行います。
7、21、28日は休診といたします。
ご迷惑をおかけしますが、
よろしくお願い致します。
無事完走できました。
このところお昼に、けやきさん、みらいキッチンさんに頼むお弁当も揚げ物をなるべく避け、
ごはん超少な目を貫いただけでなく、
やはり予想をはるかに超える沿道の応援が本当に支えになりました。
テルテル坊主はスターターのいわき市長もこしらえたとのこと。
おかげで午前中は晴れ間も見えました。
10000人を超えるランナーが集結してくれ、
47のうち42の都道府県からの参加者があるというのも、故郷いわきにとっては、うれしいこと。
途中ゲストランナーで、いつも中継のコメントが面白い増田明美さんに追い抜かれたとき、
ちょうど目が合い?握手していただきました。
それもあって前半は速度オーバー。
永崎海岸も美しかったし、
中の作の吊るし雛や、江名漁港の大漁旗にも励まされましたね。
ゴール地点の小名浜も含め、津波の被害を越えられた方々の心意気です。
ただ建設中の防潮堤が、このすばらしい、
いわきの海岸の眺望を妨げそうで、少しさみしさもありました。
「がんばれ~」「負けるな~」
子供たちからお年寄りまで、
とにかく声援が絶え間なく、
沿道からの差し入れも途切れなく、
ところどころで太鼓やブラスバンドやなかには一人でピアニカを弾いてくれる少女もいて、
楽しいし自然に笑顔になる。
でもあまりにも絶え間なく励まされ続けて、
歩きたくても歩くことができず、少しつらいときもありましたけど、おかげで止まらずにがんばれた。
人のちからは本当に大きい。(そのぶん応援の方々の切れ目に歩きました)
「ありがとう」と今日何度言ったかしれない。
差し入れの苺を頬張るとどんなに甘かったことか。
トマトがどんなにみずみずしかったことか。
雨のなかの後半戦、いただいたけんちんうどんも甘酒も泣けてくるほど。
他県に住む友人が、いわきのもてなしに感動し、これで3度目の参加というのもうなずける。
自分にしても、7年前に参加した東京マラソンに負けているとは思えなかった。
少なくとも声援の温かさについては。
ここが最大の難所かな。
三崎公園の心臓破りの坂。
歩いたので心臓は破られなくて済みました。
ゴールの頃は本降りになって、寒かったけど、
これなら来年も年齢はすっかりと忘れ、出てみたいですね。
あちこちの差し入れのせいもあり、
レース後の体重が500グラム増えていました。
それでも明日のお弁当だけは、かつ丼を解禁したいと思います。
明日に近づいてしまったサンシャインマラソン。
年末年始は食べ過ぎてしまい、
にわかに1月になって走りはじめたが、減量はわずか1㌔しかできず、
もう明日である。
逃げられない。
それでも夏井川、新川のルートを
1月4日から今日まで、5度走った。
夏井川と新川の分岐には、
今年も白鳥が子育てをしている。
一度だけ海まで走った。
夏井川の河口は直接には海に注がない。
たまにユンボが砂を掘り、通そうとするが、
また埋まってしまうのはいつも不思議だ。
初菜の花。
初たんぽぽ。
言わなくても分かるか。
新川を上ると、
正面に雪を抱いた水石山。
左岸に桜並木。
つぼみはまだ硬いが確実にふくらんでいた。
帰る途中の公園。
遊具である魚の骨は何度か塗り替えられているが、
自分が幼稚園のころから、この場所にある。
グリーンベルトでは幼な児が母親とゴムとびをしていた。
そうそう。
高くて跳べなくなると、
リンボーになってしまうんだっけ。
いつも行列のラーメン屋。
一度は食べてみたいものだ。
いまたべたら1㌔の減量も台無しになる。
終わったら必ず食べよう。
風の強い日は吹き飛ばされそうになりながら、がまんして走った。
川沿い、畑沿い、カラスも飛ばされそうで、必死だった。
気持ちは分かるよ。
去年は雪で中止だったので、やむなく今年もエントリーしたが、もうやめよう。
いい年齢である。
たまたま当たってしまった東京マラソンから7年になる。
2度目のフル。
晴れるとよいけど。
テルテル坊主ならずネギ坊主に願うしかない。
2月の土曜日の診察は、
14日に行います。
7日、21日、28日は休診となります。
ご迷惑をおかけしますが、
よろしくお願い致します。
1月の土曜日の診療は、
17日に行います。
どうぞよろしくお願い致します。
名護市辺野古地区の県道から砂利道へ入り、
ゆきどまりから延々と歩いて獣道を下り切ると、
「じんぶん学校」はある。
震災後、いわき市から沖縄へ避難された家族を描いた映画が縁で、
巡り合った場所である。
ちょうどこの日は、いまも同じくいわき市から沖縄へ避難中の、
少年もいっしょに泊まることになった。
誰もいない浜へ飛び出すと、
右手奥にキャンプシュワブを望む、大浦湾のリーフが広がる。
潮騒に、夕陽が溶け込む時間帯だった。
「ごはんつくりますよー」
と子供たちが呼びにきてくれ、
カマドに集合。
電気もガスもない、この場所では、
薪を集め、火を起こし、一から晩餐をこしらえる。
今日のメニューは「ゆしどうふ」
豆乳をしぼり、釜に海水を加えると、
一息に煮立つ。
おからは浜に自生する食草と合わせ、
揚げ団子にする。
「じんぶん学校」先輩たちに教えられ、
ようやく夕食。
時間を解き放ち、潮風のなかでいただく食事は格別だ。
3泊4日の「じんぶん学校コース」では、
鳥一羽を皆で潰し、供するという。
初めは泣き出す子供もいるが、
最終日には両手を合わせ、
食べて自ら後片付けをする。
そんな話をスタッフから聞いた。
電気もガスもない生活。
もちろんこれは象徴であり、
私たちはもう後戻りができようがない。
それはとても恐ろしいことなのかもしれない。
子供たちの笑顔に包まれながら、
この世界の100年後を思い、
そう感じた。
ちょうど大潮の新月で、
まったくの闇に星は無数だ。
少年とともに、夜の漁に出る。
「いざり」という沖縄に伝わる漁は、
深夜干潮で現れたリーフを歩き、
獲物を探す。
いたいた!
「アジケー」
これはおいしいと
翌朝、
少女がよろこぶ。
さすがうちなーんちゅ。
たくましい。
潮のかおりそのものの、
かなりハードな味なんだけどね。
帰り際、少女がさっと道端の草木を結わえ、
お別れのブーケを作ってくれる。
うれしかった。
かなり久しぶりに子供に戻り、
笑った気がする。
いつか不自然な日常に苦労する子供たちとともに、
もう一度この場所を訪れたいと思った。
フクシマとオキナワ。
ご縁に感謝し、
それぞれの現実に
向き合ってゆければと思う。
11月の連休を利用して、沖縄へでかけた。
沖縄は、20代の頃に4年ほど住み、
離島への往診や、精神分析、芸術療法、ユタに代表される歴史ある治療文化を学んだ地であり、
私の精神科医としての原点でもあると同時に、
第二の故郷ともいえる土地だ。
何よりも住む人が、あたたかく、屈託なく、
当時まだいろいろな意味で
ささくれていた私を救ってくれた土地でもある。
震災後も一時期世話になり、
いまもなお毎年何度か訪れないわけにはゆかない。
今回のテーマは基地問題で揺れる、
名護市辺野古地区。
2007年に発見されたという
アオサンゴの巨大群落を
どうしてもこの目で見たかった。
ここが辺野古地区大浦湾。
右手にはキャンプシュワブ。
海上保安庁の巡視船が沖には数多く見えた。
仲間の助けを借り、東風を押し切り、およそ400メートル泳ぎ、サンゴ群落をめざす。
浅場にはテーブルサンゴも敷き詰められている。
さらに沖へと泳ぎ進む。
広大な大浦湾で、ピンポイントでサンゴ群落を探し出すことは難しい。
風と波に揺られながら数十分、
ようやくリーダーが短く叫んだ。
「ここだ」
深まりゆくポイントを潜水し、仰ぎ見ると、
城のように連なるアオサンゴが現れた。
沖縄の仲間に大感謝だ。
ところどころうねり、トンネルを作り、
自在に湧き上がる造形美に圧倒される。
スズメダイやフエダイたちのねぐらでもあり、
巨大な遊び場でもある。
およそ1億3700年前から、
この地球上に存在していたとされるこのサンゴは、
私たち人類の大先輩だ。
わずか7年前に発見されたというのだから、
私たちがこの地球について知り得ていることなど、
ほんのわずかのことなのかもしれない。
陸に上がるとキャンプシュワブのゲート前では、
基地移設反対を訴える人々が座り込み、警察隊と対峙していた。
くしくも先週、移設反対派の翁長氏が当選したばかりである。
同じようにバリケードが張り巡らされた、
福島第一原子力発電所周囲のものものしい空気と重ならないはずはなかった。
国策に翻弄される苦しみも含めて。
違うのは、手を振り返す明るさだろうか。
かつて比類なき苦しみを強いられた沖縄の土地の、
ある意味、太陽のようなつよさなのかもしれない。
夜は同じ辺野古地区にある、
「じんぶん学校」に泊めていただく。
電気も、ガスもないこの施設は、
食事も竈での火起こしからはじめるという。
震災後、とある映画が縁で巡り合った場所なのだが、
念願かない、
今回宿泊できることになった。
集落から奥まった山道を車がひっくり返りそうになるくらいガタガタいわせながら延々と進み、
ゆきどまると今度は獣道を30分ほど下りなければたどり着けない場所でもある。
ここからさらに降りてゆく。
眼下の浜に学校はある。
息を弾ませ、夕暮れを急ぐ。
12月の土曜日の診療は、27日に行います。
6日、13日、20日は休診となります。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い致します。
なお、年末年始は12月28日から1月4日までを休診と致します。
1月5日月曜日から、通常通り、診療致します。
今年も残りわずかではありますが、
風邪やインフルエンザなども随分はやっているようです。
寒い日々がつづきますが、
どうかお気をつけてお過ごしください。