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初夏のさはこ

Posted in ブログ on 6月 21st, 2015 by ichiro – 初夏のさはこ はコメントを受け付けていません。

いつもならジョギングで向かう
常磐湯本温泉
「さはこの湯」だが、
草いきれの新川の堤防を、
自転車で駆け抜けてみた。
   
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初夏の暑い日差しのなか、
草は高く、
ずいぶん走りづらくもあったが、
ちょっと苦しくなれば必殺のアシスト機能を用い、
加速する。
  
ぐっとスピードを増すその快楽に、思わず
「加速装置!」
とつぶやいてしまう。
古いか。
確かサイボーグ009のリーダーの特殊能力だったように思う。
奥歯を噛みしめスイッチをオンすると、
全身がすっと加速するのだ。
  
新しくなった内郷駅から6号に入り、
湯本への坂を越えれば公共浴場「さはこの湯」だ。
  
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新しいスタンプカードをもらう。
思えば昨年スタンプあとひとつのところまでゆきながら、
10個中、9個まで押されながら、
達成できなかったカードである。
3月30日締めなので、要注意なのだ。
今年こそ10個到達を目指さざるをえない。
   
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運動のあとは体重測定。
いつも減量を実感できる。と思いきや、
「あんちゃん。それおかしいべ。すぐなぐねえか」
とあるとき声をかけられた。
そうなのだ。
うすうす感づいてはいたのだが、どうもこの「さはこ」の更衣室の体重計は、自動でサバをよんでくれる。
帰って測ると、いつも3㎏以上は増えているから、
どうやら帰りに食べてしまうだけではなさそうだ。
おんちゃんも気づいていたのだろう。
このやっぱりうれしい体重計を。
声かけてくれたところを見ると、
よほど自分も減った(とサバよんでくれる)体重に、にんまりしていたに違いない。
でもたとえサバでも、止められない。
この自動サバよみ体重計で、走って減った(ように感じられる)よろこびもあり、
さはこに通ってしまうのかもしれない。
(もっとも最近は、やはり「さはこの湯」で、おんちゃんに声をかけられて教えていただいた、
さらなる穴場に通ってもいる。これはまた今度)
     
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湯上がりの汗をだらだらさせながら、
湯本駅前、
暑い日にあえて
屈指の沖縄そばですね。
運動した分、(減ったであろう体重も)すぐに戻してしまいますが、
ここのはソーキ、ラフテー、テビチまで入って、止められません。
   
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そとは真昼には30℃近くまで気温が上がり
店外の陽射しは沖縄と錯覚するほど。
  
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帰りはゆったり館の前を通り、
21世紀の森公園を過ぎる。
左にアジサイ、右手にさつき、
まさに初夏。
下りの風と、上りは「加速装置」を発動し、心地よい。
  
それにしても
「あんちゃん」と「おんちゃん」の境目は、どこなのか。
そろそろ自分も「おんちゃん」だろうか。
どこからが「おんちゃん」なのだろうか。
ああそうか。
自分より年上の方からみればかろうじて「あんちゃん」キープだろうが、
子どもたちや後輩からみれば確実に「おんちゃん」で決まりだろうな。
自転車の運転中は、
ひまなので、
そんな当たり前のことを考えつつ、
たとえ「おんちゃん」だろうが、
汗を流し、疾走できる、いまこのときを思う。
  
もちろん筋肉痛が3日も残り、
かなり疲れやすくなってはいるが、
やはり今少しだけ
「あんちゃん」と「おんちゃん」のあいだでいたい。

初サイクリング

Posted in ブログ on 5月 26th, 2015 by ichiro – 初サイクリング はコメントを受け付けていません。

初夏の風につられ、
念願のアシスト付自転車を手に入れた。
  
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試してみると、
小学校のとき苦労したお城山の急坂も押さずに上れた。
  
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平橋を渡り、
蛙なく田植え直後の田園を抜け、
     
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これまた行きたかった神谷の回廊美術館。
龍の背を模した回廊が斜面を駆け上り、
子供たちが描いた桜の絵の数々が、
葉桜のいまも回廊に花を咲かせている。
ボランティアの方々が全身に汗して、
建築をつづけていた。
    
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樹上の家。
   
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風が通る。
  
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ぶらんこも何十年ぶりだろう。
  
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空飛ぶ感じ。
この麓をこれから100年かけて
99000本の桜並木で埋め尽くすという。
震災後、
負の遺産ばかりに負けじとする発想力だ。
   
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調子に乗り
新舞子から
薄磯に出た。
被災した集落は跡形もなく、
堤防工事が進められていた。
   
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観光客にまざり、
生まれて初めて塩谷崎灯台、通称「豊間の灯台」にのぼる。
   
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灯台から薄磯を見下ろす。
集落は失われても、海の青みは変わらない。
中学生のとき、夏休みは毎日通い、
泳ぎを競い合った海だ。
海の家や、テントに連泊しての、家出生活。
独り立ちへのはじまりだった。
   
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初夏の風を満喫したが、
海を背にすぐ
まさか突然のバッテリー切れ。
う~ん37㎞は大丈夫と取扱書にはあったのだが、
城山とか、弁天様とか調子こいて上ったからか、
20㎞くらいで切れてしまった。
  
帰りの道は高久を通る、
友と自転車も競い合った農道なのだが、
アシストなしは泣きそうになるほど、
きつかった。
尻はごつごつ。
足はパンパン。
筋肉痛。
やれやれ。
それでも意地でも
年齢には負けじと
のぼり坂を降りては押さなかったけれど。

   

花めぐり~福島

Posted in ブログ on 5月 17th, 2015 by ichiro – 花めぐり~福島 はコメントを受け付けていません。

花めぐりはつづく。
2~3時間でも余裕があれば、弾丸で出かける。
  
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合戦場のしだれ桜。
二本松市。樹齢150年。三春の滝桜の孫桜とも聞く。
「平安時代に朝廷の命で奥州征伐に来た八幡太郎義家と阿部貞任・宗任兄弟が戦ったとされる地に咲き誇ることから合戦場のしだれ桜と呼ばれるようになりました」
とあるから歴史は古い。
   
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菜の花とのコントラストが美しい。
          
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こちらは越代の山桜。
古殿町。
樹齢400年。
    
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個人的にはこの樹が好みですね。
野趣と存在感は格別と思います。
   
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5月に入り、クマガイソウ。
野生蘭のなかま。
戦国武将熊谷直実(くまがいなおざね)にちなんだ名称。
膨らんだ形の唇弁を昔の武士が背中に背負った母衣(ほろ)に見立てたとのこと。
こちらは田人町。
前の集団が入り口で騒いでいるので「なに? なに?」と近づいてゆくと、
ちょうど2000人目の来場者なのだという。
見れば、自分の券は2004と番号が打たれている。前のグループは4人連れだから、
おー、あと1分、1グループ早ければ記念パネルを頂けたのか。
同じ「熊谷」なだけに惜しかったかな。
なんて思いつつ、渋いクマガイソウの群落も見事である。
   
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最後は今日ですね。
M病院の院長先生に教えて頂いた名所。
高柴山。
小野町。
山頂一面をヤマツツジが埋めている。
この真紅には圧倒されます。
新緑と青空と、いうことなしです。
  
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一番奥が山頂です。
迷路のように入り組んだツツジの陰で、
みな手弁当を広げている。
クリニック裏手、
松が岡公園のツツジの回廊も思い出しますね。
幼稚園の遠足はいつもあそこでしたから。
いまは補修中ですが
必ずや復活してほしいものです。
   
福島の春。
どこもこの年齢になって、
初めて訪れた場所でした。
教えてくださった方々に、感謝です。
よいところ、
たくさんあって驚きです。
深呼吸できました。  

さくら詣で、花めぐり

Posted in ブログ on 4月 17th, 2015 by ichiro – さくら詣で、花めぐり はコメントを受け付けていません。

4月12日はひさしぶりの休日でもあり、
しばらくぶりに晴れた。

さくらを詣で、花をめぐった。
     
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まずは磐城平城。
この本丸城跡は私有地であったため、
数十年来閉鎖されていたというが、
この4月1日から週末に限り公開されることになった。
12日は「平城さくらまつり」
多くの人がつめかけていた。
ものみが丘と呼び、
小学校時代はよくこの敷地を駆け回って遊んだものだ。
さすが本丸跡、
ここから平の街並みのすべてが見渡せるのである。
35年ぶりに訪れることができた。
   
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その足で同じ城山の某高等学校。
新たにゆかりのできた場所だが、
高校時代は男子校生にとっては聖地?でもあり、鬼門?でもあり、
こわくて
一度も近づいたことはないのだった。
よって初めて訪れる。
ここの桜も地名のままに、さすがに見事だ。
    
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たんご沢から城山を下り、
クリニックへ。
うん、2年ぶり、2度目の開花。
数もずいぶん増えてきた。
今年は桜のあたり年かも。
   
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つづいて公園へまわる。
年に一度の渋滞の横を、すり抜け歩く。
松ヶ岡の上は整備中で入れないが、
遊具のある第二公園は多くの家族連れでにぎわっていた。
  
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足元に一輪。
さくらに負けるな。
アスファルトに負けるな。
  
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そして大好きな新川。
桜のトンネル。
いつも走る堤防も満開だ。
  
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アリオス前。
対岸の菜の花もよい香りである。
   
  
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車に乗り換え、北上。
どこでしょうか?
ふたば未来学園高開校で話題の広野町。
広野小も生徒が少しずつ戻っていると聞きます。
二つ沼運動公園からも、子どもたちの歓声が聞こえました。
   
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ここは?
楢葉町「ここなら商店街」
プレハブに描かれた桜も見事。
作業員だけでなく、一時帰宅の方のお腹も胸も
いっぱいに満たしてくださるのだと聞きます。
   
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バリケードの向こうは帰宅困難区域で立ち入りは許されませんが、
今年も夜ノ森のさくらは咲き誇ります。
  
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帰りは川内村を回りました。
まだ避難指示の解けない場所に
静かな沢を見つけました。
  
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そして夏井川に沿って下り、
磐越東線もこの時期徐行運転をするという名所。
  
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無人の江田駅近くのツツジ(アカヤシオ)
夕暮れにぎりぎり間に合いました。
途中山峡の桜もところどころ夕陽に灯り、きれいでした。
   
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しめは小川の名だたる神社。
階段を上れば
ライトアップも妖艶です。
  
久しぶりの休日、
久しぶりの晴れ間に、
徒歩で、車で、走り回りました。
東北の春です。

   

サンシャインマラソン2015

Posted in ブログ on 2月 8th, 2015 by ichiro – サンシャインマラソン2015 はコメントを受け付けていません。

無事完走できました。
このところお昼に、けやきさん、みらいキッチンさんに頼むお弁当も揚げ物をなるべく避け、
ごはん超少な目を貫いただけでなく、
やはり予想をはるかに超える沿道の応援が本当に支えになりました。
  
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テルテル坊主はスターターのいわき市長もこしらえたとのこと。
おかげで午前中は晴れ間も見えました。
10000人を超えるランナーが集結してくれ、
47のうち42の都道府県からの参加者があるというのも、故郷いわきにとっては、うれしいこと。
途中ゲストランナーで、いつも中継のコメントが面白い増田明美さんに追い抜かれたとき、
ちょうど目が合い?握手していただきました。
  
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それもあって前半は速度オーバー。
永崎海岸も美しかったし、
中の作の吊るし雛や、江名漁港の大漁旗にも励まされましたね。
ゴール地点の小名浜も含め、津波の被害を越えられた方々の心意気です。
ただ建設中の防潮堤が、このすばらしい、
いわきの海岸の眺望を妨げそうで、少しさみしさもありました。

 
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「がんばれ~」「負けるな~」
子供たちからお年寄りまで、
とにかく声援が絶え間なく、
沿道からの差し入れも途切れなく、
ところどころで太鼓やブラスバンドやなかには一人でピアニカを弾いてくれる少女もいて、
楽しいし自然に笑顔になる。
でもあまりにも絶え間なく励まされ続けて、
歩きたくても歩くことができず、少しつらいときもありましたけど、おかげで止まらずにがんばれた。
人のちからは本当に大きい。(そのぶん応援の方々の切れ目に歩きました)
  
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「ありがとう」と今日何度言ったかしれない。
差し入れの苺を頬張るとどんなに甘かったことか。
トマトがどんなにみずみずしかったことか。
雨のなかの後半戦、いただいたけんちんうどんも甘酒も泣けてくるほど。
他県に住む友人が、いわきのもてなしに感動し、これで3度目の参加というのもうなずける。
自分にしても、7年前に参加した東京マラソンに負けているとは思えなかった。
少なくとも声援の温かさについては。
    
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ここが最大の難所かな。
三崎公園の心臓破りの坂。
歩いたので心臓は破られなくて済みました。
  
ゴールの頃は本降りになって、寒かったけど、
これなら来年も年齢はすっかりと忘れ、出てみたいですね。
   
あちこちの差し入れのせいもあり、
レース後の体重が500グラム増えていました。
それでも明日のお弁当だけは、かつ丼を解禁したいと思います。
 

  

   

サンシャインマラソンへ

Posted in ブログ on 2月 7th, 2015 by ichiro – サンシャインマラソンへ はコメントを受け付けていません。

明日に近づいてしまったサンシャインマラソン。
年末年始は食べ過ぎてしまい、
にわかに1月になって走りはじめたが、減量はわずか1㌔しかできず、
もう明日である。
逃げられない。
    
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それでも夏井川、新川のルートを
1月4日から今日まで、5度走った。
  
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夏井川と新川の分岐には、
今年も白鳥が子育てをしている。
  
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一度だけ海まで走った。
夏井川の河口は直接には海に注がない。
たまにユンボが砂を掘り、通そうとするが、
また埋まってしまうのはいつも不思議だ。
   
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初菜の花。
   
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初たんぽぽ。
言わなくても分かるか。
   
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新川を上ると、
正面に雪を抱いた水石山。
左岸に桜並木。
つぼみはまだ硬いが確実にふくらんでいた。
   
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帰る途中の公園。
遊具である魚の骨は何度か塗り替えられているが、
自分が幼稚園のころから、この場所にある。
  
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グリーンベルトでは幼な児が母親とゴムとびをしていた。
そうそう。
高くて跳べなくなると、
リンボーになってしまうんだっけ。
  
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いつも行列のラーメン屋。
一度は食べてみたいものだ。
いまたべたら1㌔の減量も台無しになる。
終わったら必ず食べよう。
  
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風の強い日は吹き飛ばされそうになりながら、がまんして走った。
川沿い、畑沿い、カラスも飛ばされそうで、必死だった。
気持ちは分かるよ。
去年は雪で中止だったので、やむなく今年もエントリーしたが、もうやめよう。
いい年齢である。
たまたま当たってしまった東京マラソンから7年になる。
2度目のフル。
晴れるとよいけど。
テルテル坊主ならずネギ坊主に願うしかない。
   

   

フクシマとオキナワ~その2

Posted in ブログ on 12月 18th, 2014 by ichiro – フクシマとオキナワ~その2 はコメントを受け付けていません。

名護市辺野古地区の県道から砂利道へ入り、
ゆきどまりから延々と歩いて獣道を下り切ると、
「じんぶん学校」はある。
   

震災後、いわき市から沖縄へ避難された家族を描いた映画が縁で、
巡り合った場所である。
ちょうどこの日は、いまも同じくいわき市から沖縄へ避難中の、
少年もいっしょに泊まることになった。
  
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誰もいない浜へ飛び出すと、
右手奥にキャンプシュワブを望む、大浦湾のリーフが広がる。
  
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潮騒に、夕陽が溶け込む時間帯だった。   
    
「ごはんつくりますよー」
と子供たちが呼びにきてくれ、
カマドに集合。
電気もガスもない、この場所では、
薪を集め、火を起こし、一から晩餐をこしらえる。
今日のメニューは「ゆしどうふ」
豆乳をしぼり、釜に海水を加えると、
一息に煮立つ。
おからは浜に自生する食草と合わせ、
揚げ団子にする。
  
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「じんぶん学校」先輩たちに教えられ、
ようやく夕食。
時間を解き放ち、潮風のなかでいただく食事は格別だ。
3泊4日の「じんぶん学校コース」では、
鳥一羽を皆で潰し、供するという。
初めは泣き出す子供もいるが、
最終日には両手を合わせ、
食べて自ら後片付けをする。
そんな話をスタッフから聞いた。
    
電気もガスもない生活。
もちろんこれは象徴であり、
私たちはもう後戻りができようがない。
それはとても恐ろしいことなのかもしれない。
子供たちの笑顔に包まれながら、
この世界の100年後を思い、
そう感じた。
  
ちょうど大潮の新月で、
まったくの闇に星は無数だ。
少年とともに、夜の漁に出る。
「いざり」という沖縄に伝わる漁は、
深夜干潮で現れたリーフを歩き、
獲物を探す。  
  
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いたいた!
「アジケー」
これはおいしいと
翌朝、
少女がよろこぶ。
さすがうちなーんちゅ。
たくましい。
潮のかおりそのものの、
かなりハードな味なんだけどね。
  
帰り際、少女がさっと道端の草木を結わえ、
お別れのブーケを作ってくれる。
うれしかった。
かなり久しぶりに子供に戻り、
笑った気がする。
       
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いつか不自然な日常に苦労する子供たちとともに、
もう一度この場所を訪れたいと思った。
   
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フクシマとオキナワ。
ご縁に感謝し、
それぞれの現実に
向き合ってゆければと思う。
    

   

  

  

フクシマとオキナワ~その1

Posted in ブログ on 12月 7th, 2014 by ichiro – フクシマとオキナワ~その1 はコメントを受け付けていません。

11月の連休を利用して、沖縄へでかけた。
沖縄は、20代の頃に4年ほど住み、
離島への往診や、精神分析、芸術療法、ユタに代表される歴史ある治療文化を学んだ地であり、
私の精神科医としての原点でもあると同時に、
第二の故郷ともいえる土地だ。
何よりも住む人が、あたたかく、屈託なく、
当時まだいろいろな意味で
ささくれていた私を救ってくれた土地でもある。
  
震災後も一時期世話になり、
いまもなお毎年何度か訪れないわけにはゆかない。
        
今回のテーマは基地問題で揺れる、
名護市辺野古地区。
2007年に発見されたという
アオサンゴの巨大群落を
どうしてもこの目で見たかった。
   

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ここが辺野古地区大浦湾。
右手にはキャンプシュワブ。
海上保安庁の巡視船が沖には数多く見えた。
仲間の助けを借り、東風を押し切り、およそ400メートル泳ぎ、サンゴ群落をめざす。
   
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浅場にはテーブルサンゴも敷き詰められている。
さらに沖へと泳ぎ進む。
   
    
広大な大浦湾で、ピンポイントでサンゴ群落を探し出すことは難しい。
風と波に揺られながら数十分、
ようやくリーダーが短く叫んだ。
「ここだ」
深まりゆくポイントを潜水し、仰ぎ見ると、
城のように連なるアオサンゴが現れた。
沖縄の仲間に大感謝だ。
    

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ところどころうねり、トンネルを作り、
自在に湧き上がる造形美に圧倒される。
スズメダイやフエダイたちのねぐらでもあり、
巨大な遊び場でもある。
  
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およそ1億3700年前から、
この地球上に存在していたとされるこのサンゴは、
私たち人類の大先輩だ。
わずか7年前に発見されたというのだから、
私たちがこの地球について知り得ていることなど、
ほんのわずかのことなのかもしれない。
  
陸に上がるとキャンプシュワブのゲート前では、
基地移設反対を訴える人々が座り込み、警察隊と対峙していた。
くしくも先週、移設反対派の翁長氏が当選したばかりである。
同じようにバリケードが張り巡らされた、
福島第一原子力発電所周囲のものものしい空気と重ならないはずはなかった。
国策に翻弄される苦しみも含めて。
   
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違うのは、手を振り返す明るさだろうか。
かつて比類なき苦しみを強いられた沖縄の土地の、
ある意味、太陽のようなつよさなのかもしれない。
   
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夜は同じ辺野古地区にある、
「じんぶん学校」に泊めていただく。
電気も、ガスもないこの施設は、
食事も竈での火起こしからはじめるという。
震災後、とある映画が縁で巡り合った場所なのだが、
念願かない、
今回宿泊できることになった。
  
集落から奥まった山道を車がひっくり返りそうになるくらいガタガタいわせながら延々と進み、
ゆきどまると今度は獣道を30分ほど下りなければたどり着けない場所でもある。
    
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ここからさらに降りてゆく。
眼下の浜に学校はある。
息を弾ませ、夕暮れを急ぐ。

  

11月4日

Posted in ブログ on 11月 16th, 2014 by ichiro – 11月4日 はコメントを受け付けていません。

11月4日は、久しぶりに一人、車ででかけた。
東京から、いわき、そして仙台までの海岸線をつなぐ、
国道6号線が、
震災による原子力発電所事故から3年半の期間を経て、
今年9月に開通された。
とにかく北へ、車を走らせる。
 
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木戸川。
避難指示の続く楢葉地区にある美しい河川だ。
鮭は、変わらず、遡上している。
ほっとする。
   
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国道6号線は開通したが、
常磐線は竜田駅まで。
その北に位置する富岡の駅はまだまだ痛々しい。
海岸までが、除染の黒袋で埋まっていたが、
逆にいえば、除染は進み、
町内のガソリンスタンドも営業を再開している。
  
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そしてこれまで通行禁止であった、
帰還困難区域へと入る。
二輪車は依然通行禁止で、国道をそれる脇道はバリケードで封鎖され、
警官が不審者を警備している。
   
かつてのどかな田園だったはずの土地は、
枯れ始めたセイタカアワダチソウで埋め尽くされていた。   
  
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そしていまも多くの作業員の方々が収束へ向けて、
困難な仕事に従事されている1Fの至近を通る。
線量計は通り過ぎるわずか1㌔圏内では高い数値を示した。
     
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浪江を過ぎ、南相馬市小高地区へ。
高校時代の級友が、
ここからいわきまで通っていた。
このあたりは津波の影響が色濃く残り、
セイタカアワダチソウさえ生えないのか、
海まで広く荒れた土地が、
手つかずにそのまま残っていた。
   
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相馬から内陸へ入り、霊山方面へ。
ようやく刈り取られた田んぼの風景に安堵する。
車を止め、紅葉の霊山を、ゆっくり歩いた。
中高年の登山者が笑顔を交わし合い、
青空は少しも変わりはなかった。
高台から見下ろせば
山と山のあいだの土地には、
汚染土の黒袋が集積されている。
  
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帰りは飯舘村から南相馬へ。
やはり避難指示の続いている飯館村は、
本当に美しい村なのだが、
黒い袋が荒れた田園風景に痛々しかった。
  
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故郷を奪われた多くの方々の、
怒りと悲しみが伝わってくる。
  
今年の夏から秋にかけて、
川内村のモリアオガエル、
竜田駅の開通式、
震災前の9.3%の入場者数にとどまった大好きな四倉海岸、
平の七夕、
小名浜の花火、
夏井川の灯篭流し、
川俣のフォルクローレ、
そして今日の木戸川、霊山、飯舘村。
いずれも一人で出かけ、
「福島」を歩いた。
変わらないもの、
変わりつつあるもの、
変わりゆくもの、
変わり果てたもの、
変わりようがないもの。
「復興」という言葉さえ、
ささくれなしには
受け取れないのもいまだに事実だ。
できることはもちろん、限られている。
        
11月4日は中学時代の、
クラスメートを亡くした命日でもあった。
2年前はあまりの多忙さにかまけて、
この日をすっかり忘れてしまった。
それはそれでよいのかどうか。
悲しみの記憶は人を苦しめるが、
人だけが悲しみを想い、
共有することができる生き物なのだ。
    
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そして豚丼。
かねてから多くの方々に噂を聞いていたが、これがそうか。
念願が叶った。
もとは被災地と平にあった老舗の鰻屋さんが、
震災後、見事に転身を遂げたという。
「並」「中」「大」とあり、「中」を頼むが、
これがはちきれんばかりのボリュームだった。
秘伝のタレと焼き具合が、肉にもマッチ。
これでもか、と盛られたご飯もどんどんいけた。
この地で働く多くの方の活力源だ。
ありがたい。
  
帰りは夜の6号線を南へ。
久ノ浜で渋滞するのも、聞いていた通りだ。
多くの人が、1日を終え、帰路につく。
暗がりに窓を開ければ、
波立海岸の潮の香りは、
変わりなく
そこにあった。

  

モリアオガエル

Posted in ブログ on 6月 7th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

うまわるや 
森の蛙は 
阿武隈の 
平伏の沼べ 
水楢のかげ
     
梅雨入り前の日曜日、
草野心平の詩に誘われるように、
いわき市の北西に位置する川内村は平伏沼(へぶすぬま)に出かけた。
  
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山頂に近い
森の奥の路を抜けると、
  
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小さく
静かな
沼に行き当たる。
  
畔は、
わずか5分で一周できるほどで
青い胴体の糸トンボが飛び交い、
まったくの無音のあいだに
ぐう、ぐうとカエルの声。
  
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目を凝らせてみればミズナラの陰に、
無事に産卵しているではないか。(画面右上)
と足元から
ぽちゃんと飛び込む、
アオガエルの背を垣間見る。
  
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梅雨に入ろうとするこの時期、
卵をいっぱいにおなかを膨らませた一匹のメスガエルに
多くのオスガエルが集まり、樹上で産卵する光景は、
初夏を告げる、平伏沼の、祭祀のようなものかもしれない。
一時期は絶滅寸前に追い込まれたこのアオガエルの繁殖地だが、
ひとびとの努力で、昨年は100以上の卵塊が、
この沼の畔で、確認されたと。
発泡スチロールをしきつめて、
水を増やす努力のたまものだという。
糸トンボが飛び交う、
静かな沼に
心平も聞いたカエルの声がこだまする。(写真は昨年のもの) 
  
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林道を下ると、
ところどころに
行くあてのない
除染の袋が痛々しい。
  
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それでも昨年は荒れ地にひなげしが咲いていた場所にも水が引かれ、
田んぼが少しずつ息を吹き返していた。
  
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川内村は
福島第一原子力発電所の西30㌔圏内に位置し、
一時期は全村避難の憂き目にあったが、
2012年1月
他の自治体に先駆けて「帰村宣言」を行った村だ。
静かな村には、
初夏のここちよい風が流れ、
洗濯物がところどころはためいている。
  
自然と人間。
産卵といえば20代に沖縄に住んでいた頃、
どうしてもサンゴの産卵をみたくて、
毎晩夜10時に環礁に通い詰めていたときのことを思い出す。
温暖化前の沖縄のサンゴは
いたるところに
これでもかというほどに敷き詰められ、
圧倒的な産卵だった。
あれも6月。
幼いころに見た、セミの羽化のあざやかさ。
あれは7月だったか。
  
圧倒的な自然を前に
言葉をうしない、
しばし涙ぐみそうになる。
感傷の涙ではなく、
感謝の涙、
ともに暮らす、
ありがたみを受け継いでゆける涙にしたい。
  

 

福島と沖縄の友情

Posted in ブログ on 5月 17th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

沖縄の副県知事をされている、
高良倉吉氏がいわきに来られるということで、
懇親会に参加させていただいた。
氏は、明日には沖縄に戻り、国際問題の会議もあるという忙しさだが、
昨日は福島県庁にて、ひきつづき震災後の沖縄県からの支援の継続を約束してくださり、
本日は、富岡地区を主に視察され、今宵は沖縄を愛するいわき市民、いわきに在住する沖縄県民が集い、
酒宴とあいなった。
  
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氏は、沖縄県でも伊是名島という離島の生まれで、
震災後、いわきに在住されている名嘉幸照氏と同郷であり、
私が敬愛する版画家、名嘉睦稔氏も同じ島の、しかも同じ勢理客という集落の生まれということなのだ。
名嘉幸照氏は、日本屈指の原子力発電所の建築、メンテナンスの技術者で、40年来富岡で、原子力発電の安全を見守ってこられた方だ。
震災後まもなくから3年を過ぎたいまも、事故の収束、廃炉に向け、八面六臂の活躍をされている。
最近上梓された著作のなかで彼は、先の大戦で、日本の犠牲になった沖縄と、いまの福島の状況が酷似していることを伝え、
単なる、負の遺産としての類似だけではなく、いまこそ沖縄と福島が手を取り合って、
負からはじまったとしても、逆転の発想で、将来を切り拓いてゆけるはずだと伝えている。
    
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高良氏は、琉球大学の名誉教授をされ、
琉球の文学や、琉球史の研究を専門とされる。
我がいわきの銘酒「又兵衛」をうまいと飲んでくださり、
これからの沖縄や福島の抱える問題、向かうべき未来を話してくれた。
福島-沖縄を結ぶ、定期航路の復活。
いまだに沖縄に避難中の方々の話。
福島の子供たちが、沖縄の文化に触れる企画の継続。
逆に沖縄の子供たちが、東北の文化に触れてもらう計画。
私にしても、沖縄で過ごした時間は長く、
第二の故郷ともいえる沖縄と、福島をつないでゆく仕事をしたいと思っている矢先でもあり、
楽しく、うれしい時間だった。
江戸時代、福島から沖縄にたまたま渡り、
じゃんがら念仏を琉球に伝え、エイサーの起源とされる、
袋中上人の築いた菩提院の住職さんとも、又兵衛を酌み交わすことができた。
もちろんいつもお世話になっている、
沖縄料理店のアンマーと、ネーネーとも。
  
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沖縄の海は、美しい。
生命にあふれているから、私もしばしば訪れる。
でも福島の海と森だって、本来負けないくらい美しいのだ。 
  
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診察室に飾ってある、名嘉睦稔氏のこの版画は、
伊是名島の大いなる海が、原景だ。
基地にせよ、原発事故にせよ、
故郷を追われた悲しみはそう簡単に消えるものではないが、
私たちの原景はひとつであり、
この絵を過去から未来への窓として、
誰もがつながってゆきたいと思う。 
  

  

夜ノ森のさくら

Posted in ブログ on 4月 22nd, 2014 by ichiro – Be the first to comment

富岡生まれの臨床心理士さんが、実家の空気の入れ替えをするというので、同行した。
この時期、浜通りでも有数のさくらの名所、富岡町夜ノ森地区のさくらを観たいと思ったこともあるが、
そればかりではない。
 
人口およそ1万5千人の、全町民に避難指示が出されている富岡町の、
帰還したくても帰還できない実情を、多くの方々からお聞きするうち、
一度はこの目で何かを確かめたいと思ったのだ。
      
海沿いに位置する、JR富岡駅周辺は、
震災の爪痕を色濃く残し、
駅からのぞむ青い海原が印象的だったが、
高校時代、
毎日この駅からいわきまで通学したという臨床心理士の彼によれば、
駅から海が見渡せた記憶はないという。
   
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つまりは津波で海沿いの住宅地が流され、
加えて放射能汚染のため立ち入りも制限され、
まだ復旧が手つかずのままであるのだった。
  
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しかしながら彼の通った、
富岡一小、富岡一中は除染され、
街中の道路も補修工事がはじまっており、
まるであかりが灯ったように、
街の中央に位置するガソリンスタンドが、
営業を再開しているのには驚いた。
この街に戻ろうとする、
人々のつよい意思を感じた。
  
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夜ノ森のさくらは、
一部が帰還困難区域に指定されておりバリケードで封鎖され、
途中までしか立ち入りできなかったが、
入口から数百メートルにも及ぶさくら並木は息をのむほど、
美しく咲き誇っていた。
静かに咲く花々は、
春風に揺られ、花を散らし、
誰も通らないアスファルトに花びらをしきつめてゆく。
     
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「松が岡公園(のさくら)は平和でしたね」
富岡で生まれ育った心理士は、そう言って黙った。
確かにいわきの松が岡公園には、
幼子の駆け巡る姿がある。
        
3年という月日の長さ、
避難生活の長さを案じながらも、
しかし自然は鮮やかにそのままであり、
もう一度
人と自然が手を取り合って生きてゆくための第一歩は、
確かにいま踏み出されなければならないのだと、そう思った。

松が岡公園

Posted in ブログ on 4月 8th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

週末、松ケ岡公園の桜が、
満開の様相となった。
 
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古木は、震災によって、地面がぼこぼこになっても揺るがず、
いったい、いつから平市街を見下ろしているのかと調べれば、次のような記載に行き当たる。
     
明治40年平町議会は、日露戦争記念行事として、茶畑、麦畑と竹やぶであった矢小路台(薬王寺台)を開き、防火用水をかねた大貯水池をつくり、これを中心として桜、梅、つつじを植えました。
その後、東京大塚にあった旧城主、安藤邸内の古つつじ千本を移植し これを中心として全国からつつじの名木3,000本を集め、つつじ園と桜の名所として今日にいたっています。
   
であれば少なくとも、樹齢は100年を越えることになる。
どうりで見事なフォルムである。
しかも東京生まれだったとは。
樹肌に触れると時の流れが伝わるようだ。
   
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第2公園にいたる花道は、
ことにうつくしい。 
福島市の
花見山にだって負けてはいない、
とひいきめに思う。
  
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幼稚園の頃、
当時あった公園内の食堂に友人が住んでいて、 
毎日のように遊んだ公園だ。
誰のこころにも、その人の花、さくらがあるのだと思う。
震災後、
半分が帰還困難地域となってしまった富岡町、夜ノ森のさくらも見事に咲きはじめているのだろう。
避難されている方々が、松ヶ岡公園のさくらも、きれいですね。
と言ってくれることを、複雑な思いのなかながら、うれしく思う。
  
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さくら開花しました

Posted in ブログ on 4月 3rd, 2014 by ichiro – Be the first to comment

4月1日はこれまでの寒さがうそのように晴れ渡り、
いわき市でもさくらの開花宣言が出ました。
 
  
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東北で最初となる
さくらの知らせは、
寒い時期を耐え抜いたつぼみが一斉に花開き、
この時期ばかりは、
特に寒かった冬の日々から
ようやく解放されるよろこびを感じ、
気持ちも浮き立つ。
  
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さくらはあまり香らないと思っていたが、
鼻を花弁に近づけると、
いままさに開こうとしている蕾の部分は、
とてもよい香りがした。
  
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花粉症の鼻水をすすりながらではあるが、
クリニック裏の松が岡公園を歩く。
昭和の時代から変わりのない、
太い幹のさくらが今年も、
しっかりと咲いている。

3月11日

Posted in ブログ on 3月 12th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

3年が過ぎた。
    

あの日、
被災した舞子浜病院前の海は、
何事もなかったように、
青く輝く。
  
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いまもなお、
仮設暮らしの生活がつづき、
よほど張り詰めていたのだろう。
喪ったものごとの大きさから、
いまになって、
はじめて心身の異常を来たす方々も多い。
    
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外勤の帰りに
久ノ浜に立ち寄ると、
鎮魂の花火が行われていた。
    
まだまだ寒い海風の夕暮れ、
地元の小学生なのだろうか。
子どもたちが、
津波被害に遭ったむき出しの土地で、
花火が打ちあがるたびに、
歓声をあげる。
まずは大人たちの用意した、手作りの仕掛け花火だ。
月と、木星、星々がすべての様子を見守っている。
    
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想像を超える苦しみに見舞われた土地で、
しかし子供たちの歓声が澄み切っていて、
ちょうど打ち上げ花火の残像のように
耳に残った。
  
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「ありがとうございました」
最後の花火が打ち上げ終わると、
護岸に陣取る花火師たちに、
お礼を述べる。
頼もしい声だ。
希望という言葉をやすやすと使うつもりはないが、
このいわきの地が、
子どもたちの成長を見守り続けられる場所であることだけは、
失いたくない。

雪かき、雪割り、雪投げ

Posted in ブログ on 2月 16th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

2月9日に3時間かかって、
取り除けなかった駐車場の雪を、
11日に再度、チャレンジ。
 
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しかし雪はスケート場なみの氷の板で、
雪かきというより、
雪割りの様相。
アスファルトと、
氷の板のあいだにスコップを差し込み、
テコの原理で跳ね上げ、
氷板を割ることのくりかえし。
割った板は、
放り投げ、
粉々にして、
隅に寄せる。
 
一気に身体以上にもなる、
大きな板に割れ、それを持ち上げ、投げ捨てると、
一息にアスファルトの面積が広がるからうれしくなる。
がハンマー投げ室伏の気分でエイヤっと投げると、
ひとつの雪板が重ければ重いほど、
両腕と腰は悲鳴を上げる。
   
途中、建築現場での経験の長い、
Aさんが通りがかり飛びいりで手伝ってくれ、
彼が、左手をくの字に曲げ、
腰を入れ、上方から氷面にスコップを突き立てると、
面白いように次々に氷は割れ、
アスファルトの面積は加速して増えていった。
  
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予期せぬ助っ人、
ありがたし。
昨日は昨日で診察中に、家族を車に乗せて来院された旦那さんが、
この雪割りを手伝ってくれた。
ほんとうに、感謝です。
   
普段あいさつもあまりなかった、
隣近所で、
いっせいに雪かきに精を出す連帯感から、
雪かきはつらかったけど、
自信になったと、
対人不安の患者さんも言ってくれた。
そんなありがたみを思いつつ、
雪を投げ飛ばす。
腰をさすりさすり。 
 
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すると
雲間から
夕の太陽が氷を溶かし、
これまでスコップの刃がたたなかった部分にも割り進めるチャンスが生まれる。
もうひとがんばり。
  
2時間のつもりが3時間半。
ようやくほぼすべての部分のアスファルトが見え、
吉野屋の牛丼を買って帰った。 
 
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さらなる雪の予報には
ギクリとするが、
来るならまた来てみなさいと。
牛丼を頬張る。

 
 

 

サンシャインマラソン中止

Posted in ブログ on 2月 10th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

晴れ間も見えた日曜日。

このところごはんを控え、
連日の腹筋20回にて腹回りをちょっとはしぼり、
ようやく2㌔体重を落としたが、
サンシャインマラソンは
無念の中止。

20年ぶりの大降雪ではやむなし。
上村愛子さんのがんばりをテレビで観る。
   
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クリニックの雪かきをしにゆくが、
外に出てびっくり。
手のひらを突くと、
縦にすっぽりと埋まるほど。
いわきで20センチ近い積雪は経験がない。
車止めも何も見えず。
手持ちの雪かきもすぐに壊れてしまい、
ホームセンターに行くが、
「朝で全部売り切れました」と。
男性スタッフを呼び、
とにかく、
掻いた。

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スタッフの持ってきてくれた
ブルドーザーがたの雪かきがすばらしく(左側のもの)、
気持ちよくかけるのだが、
あっという間に暑くなり、
腰も痛い。
  
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通路と入口をかき、
しかし駐車場は、
一区画で30分近くかかってしまい、
雪だるまでもつくろうなどと、
安易な気持ちも吹き飛ばされる。
   
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普段はまったく意識しないが、
(雪の少ない)浜通りに生まれたことのありがたさを思いながら、
なんとか3台分を確保。
やれやれ、
ほんとに腰が痛い。
  
また来年か。
1年後には、
ひとつ年を経て、
フルマラソンの完走はさらに難しくなるだろうが、
やるしかないか。
オリンピック選手のすごさを見て、
そんなふうに思う。

サンシャイン間近

Posted in ブログ on 2月 2nd, 2014 by ichiro – Be the first to comment

いよいよいわきサンシャインマラソンも間近で、
先週日曜は、
平から小名浜までの14キロを走ってみた。
    

曇り時々晴れの空。
風はつよいが北風なので、
追い風になる。
     
途中、中学生くらいの男子3人が横並びに歩道を歩いていて、
ひとりが振り向き、
後ろから私が来ているのをわかっているのによけてくれず、
一瞬むっとした気持ちになったが、
ああ、このくらいの年代は、よけるなんて友達の手前、少し格好わるくて、
よけたくても強がってよけなかったのだろうかとも考え直し、
先へ進んだ。
   
   
すると〇〇電気の駐車場出口で、
係りの人のゴーサインで渡ろうとすると、
不意に車が突っ込んできて、
ひかれそうになった。
どきりとしたが、
係りのおじさんが
「本当にすみません」
「マラソン、がんばってくださいね」
と思いもかけない髭面の笑顔で励ましてくれ、
元気も出る。
  
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もうすぐ小名浜、
椰子が植えられ、
東北のハワイである。
     
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中学のとき、
この坂を越えた小名浜一中でサッカーの試合があり、
中体連の大事な試合だったというのに、
わずか200円ほどのバス代をけちり、
自転車で行って、
疲れて走れず負けてしまった。
  
走っているとヒマなので、
そんなことを思い出しているうちに、
アクアマリンが見えてくる。
  
本番はこの3倍の距離か、
なんとかゴールまで
たどりつけるとよいのだけれど。
  

「夢」

Posted in ブログ on 1月 26th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

土曜日は、いわきアリオスにて、
金澤翔子さんの席上揮毫を拝見した。
翔子さんは、
ダウン症でありながら、書家として活躍され、
このたびアリオスの檀上では、
「夢」という字を披露してくれた。
    
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小さな身体で、
渾身の、
一字。
    
勢いのある、
凄まじい字だ。
    
ときには25㌔の重さの筆で、
5メートル四方の書さえ、描くという。
   
母親の話によれば、
思春期に父親を亡くすなど、数々の苦労もありながら、
ひたすらに書を書き続けたという。
そんな魂の宿る、
一字なのかもしれない。

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檀上の彼女は、
にこにこと、
笑顔を絶やさず、
「夢は?」とインタビュアーに問われると、
「30歳になるまでに、一人暮らしすること」
と応えていた。
  
最後には
満席の観客を前に、
「まるまるもりもり」
のダンスを披露してくれた。
   
母親によれば
彼女は知能が高くはないから、
うまく書こうとなど思っておらず、
ただ相手をよろこばそうと
書を書いているだけなのだという。
    
ダンスはBGMの調子がわるく、
何度も中断するハプニングがあったが、
そのたび悔しそうに、
何度もやりなおしてくれる彼女の姿に、
会場の手拍子がひとつになった。
    
決してうまく見られようと思っておらず、
踊ること自体が本当に楽しくて踊っているだけという、
そんなダンスは実に楽しそうで、
忘れかけている大切な何かを、
思い出させてくれる。
   
きれいごとをいうつもりはないが、
私は身近にダウン症の子供たちを多くみる環境で育ったこともあり、
彼らの笑顔が大好きである。
勝手な言いぐさであることを承知でいえば、
ときに本当に、
救われるのだ。
   
出口であいさつできる機会に恵まれ、
感謝を伝え、
手を差し伸べると、
にっこりと、
笑顔で握手に応じてくれた。
25㌔の筆を持つというのに、
その掌が、
思いのほか小さなことに、
驚かされた。
 

新しい年

Posted in ブログ on 1月 7th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

初日の出に起きられず、
今年度は閼伽井嶽の初詣でスタート。
 
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風のない晴天。
おみくじは
いつ以来か忘れてしまうほど、
数年ぶりの大吉。
 
2日、
富岡高校のサッカー2回戦は、
PKでの惜敗だった。 
よく走り、
よく守り抜いた選手たちに拍手。
 
高校3年のラストゲーム。
同じくPK戦で涙をのんだ夏の日を、
昨日のことのように思い出す。
 
年を取ると、
「思い出は1枚の絵のように変化してゆく」
と書いたのは、
精神科医の中井久夫氏だっただろうか。
確かに記憶は、
前後も繋がりも
ときには真偽のほどさえ曖昧となってくるようだが、
不意に鮮烈な絵となり、
浮かび上がる。

最後のキッカーがGKにセーブされ、
相手選手が大喜びで抱き合っていて、
もう二度と
高校のあの狭いグラウンドを
走り回ることがないのだと思った瞬間、
涙があふれた。
    
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いわき駅前のライトアップが今年も施され、
富岡高のピンクの応援メガホンと同じく、
富岡地区、夜ノ森の桜がイメージされた。
写真で表せないのが悔しいが、
ライトが2色になったぶん、
かなり鮮やかな輝きを見せる。
   
震災後、
誰も住めない、
入ることさえできない地域で、
桜は咲き続けていたに違いない。
 
震災直後に入学し、
3年間を福島市の避難先で過ごすことになった選手たちも
最後まで脇目を振らず、
練習に明け暮れていたに違いない。
  
DSC_0156 

日の出には間に合わなかったが、
福島の海、
太平洋は、
冬にこそが青く、
美しい。