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風薫る、5月。

Posted in ブログ on 5月 16th, 2016 by ichiro – 風薫る、5月。 はコメントを受け付けていません

風薫る、
とはよくいったもので、
新緑の5月。
1年で、
もっとも風が心地よい季節かもしれません。
  

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というわけで連休明け。
クリニック隣の松が岡公園。
花見の賑わいは終わりましたが、
実はこの季節もよいのです。
   
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坂を上がればツツジの迷路。
あっちこっちに曲がりくねって、
どこにだって隠れられる。
缶蹴りにはサイコーですね。
毎日やってもあきなかった、
あの頃がなつかしいですね。
   

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隠れるのに夢中で、
こんなにもあざやかな色だったかどうか。
   

  
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リニューアルオープンした公園は、
遊具も整備され、
木洩れ日も心地よい。
   
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もともと汽車があった軌道で、
リレーに興じる家族を発見。
あそびを創り出す才能に、
こっちも元気をもらえますね。
  
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自分も負けじと
どこかで見たはずの草を発見。
でもどうやって遊ぶのか忘れてしまった。
これが月日というものか。
どうすれば
ぺんぺんと音が出るのか。
  
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そしてこの街を見下ろしてみれば
幼稚園のときに見た景色とどこが違い、
どこが同じか。
いずれにしてもこの本当に小さな平(たいら)の街が、
とてつもなく巨大な迷路に見えた時代もあったことだけは記憶している。
  
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坂を下りればクリニックを過ぎ
幼稚園跡地にいたる。
風にさそわれ、
こちらのつつじも見事だった。
年少のときに受け持ってくださった、
I先生もお元気とのこと。
先日お手紙をいただきうれしくなった。
これまでいろんな先生にお世話になったが、
必ずしもよい思い出ばかりではないなかで、
人生最初の先生がいまでも見守ってくださることは
少しくすぐったくも
ありがたい。
  

   

桜 さくら SAKURA

Posted in ブログ on 4月 29th, 2016 by ichiro – 桜 さくら SAKURA はコメントを受け付けていません

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クリニックの桜も無事咲きました。
   
  
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すぐそばの
松ヶ岡公園は震災後のリニューアルからようやく再開。
花見客で賑わいました。
(写真は宴前ですね。まだ夜はこれからです)
   
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足をのばし
去年に続き合戦場のしだれ桜。
  
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今年の桜は本当に早足。
夜の森のさくらはすでに遅かったですが、
こちらも被災地、
大熊町の坂下ダムは
ひっそりと満開を迎えていました。
  
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締めは大好きな古殿町
越代のさくら。
「あんちゃん。いいのあっぞ」
おんちゃんに乗せられて
屋台で買った
たらぼ(タラの芽)とうるいは
あとで
湯がいておいしくいただきました。
春のしあわせ。
  
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夕闇の越代のさくら。
横顔も美しいですね。
はらはらと
古殿の銘酒「一歩己」と
花びらと
やっぱり「たらぼ」は酢味噌で合いますね。

震災から5年を過ぎて

Posted in ブログ on 3月 20th, 2016 by ichiro – 震災から5年を過ぎて はコメントを受け付けていません

震災から5年の節目。

いまの被災地をめぐるバスに乗った。
   
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道の駅よつくらに停車。
大がかりな堤防工事が進められ、
子供のころからよく遊んだ、
海が見えなくなるのは残念でならない。
  
   
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つづいて久ノ浜の浜風商店街。
仮設の商店街は小学校の目の前にあり、
なんと駄菓子屋もあるではないか。
   
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小さな男の子が買い物に来ていた。
よく見れば
垂涎もののプラモも並ぶ。
とても仮設とは思えない、
すばらしい品ぞろえ!  
  
    
    

   

   
続いてバスは北上し、楢葉の「ここなら商店街」へ。
ここもプレハブの商店街で、
昨年9月にようやく避難指示が解除され、
自宅に戻ることのできた人たちや、
原発あるいは除染作業員たちでにぎわっている。
     
     

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この日はおまわりさんも
休憩時間。
こうして制服で買い物することにより、
治安維持効果をも期待されている。
       
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昼食はJヴィレッジの近く、
日本代表サッカーチームに帯同し、
彼らの食事を一手に引き受ける西さんの運営する、
アルパインローズでいただいた。
   
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根菜がたっぷりと入った、
すいとんがうまかった。
ここ楢葉の郷土料理で、かつての代表監督トルシエが母の味と絶賛してから、
「マミーすいとん」と呼ばれているそうだ。
案内役を務める、福島大学の開沼氏が、
「若いんだから、食べれっかい」
「……あ、はい」
と参加者の方々に食べきれないごはんをすすめられ、
しっかりと食べておられるその若さと、真面目さにうれしくなった。
     
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午後の陽のまぶしい天神岬。
望遠鏡の先には、
洋上に設置された
浮動式大型風力発電の風車がまわる。
汚された土地を、
再生エネルギーの基地としても再起する計画は
はじまったばかりだ。
  
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北にはフル稼働する
火力発電所と、広大な土地に汚染廃棄物が敷き詰められている。
  
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バスは富岡まで、北上する。
駅前の商店街も駅自体も撤去され、
低線量の廃棄物は、日々焼却処理される。
海辺に建つ白い建造物が、臨時の焼却施設だ。
   
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国道に近いショッピングモールも、
以前訪れたときは荒れ果てていたが、
なかを覗き込むと掃除がなされ、
早ければ、来年4月の帰還に向け、
今年中に営業を再開するという話も聞く。
富岡町では、この3月には特例宿泊が開始されたが、
しかし申し込んだ住人は1%に届かないのが現状だ。
    

   
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津波から避難誘導し、
殉職された警官が乗っていたパトロールカーが、
真新しい慰霊碑とともに、祀られていた。
震災後、5年を経ても、
なまなましい感触は、
拭えない。
   
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帰り道、
地物を扱う水産業者を訪れ、おみやげタイム。
市の魚でもある「目光」を含め、
数はまだ少ないがいわき産の魚介類が、流通し始めているのを実感できた。
試験操業の対象魚種も72に増え、実際に地物を見るのはうれしい限りだ。
メヒカリは唐揚げも刺身もうまいが、開いて一夜干しにするとおどろくほどうまい。
    

バスのなか、
昨年も一昨年も福島県産米の全袋検査で、
放射能の検出がゼロであることなど、
開沼氏の講義も熱を帯びた。
  

   
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3月11日当日は、
いわき駅前にて、
鎮魂の合唱が捧げられた。
地元中学生の歌声が、
寒空に響く。
思えばあの日も、
寒い夜だった。
富岡町夜ノ森地区の桜並木を模した
アーケードのイルミネーションも点灯され、
それぞれがそれぞれの
6年目を迎える。

   

    

第7回いわきサンシャインマラソン

Posted in ブログ on 2月 16th, 2016 by ichiro – 第7回いわきサンシャインマラソン はコメントを受け付けていません

去年に続き雨のなかでの開催となってしまったが、
第7回いわきサンシャインマラソンがはじまった。
41都道府県から、1万人の参加があるというから、
地元いわき民にとっては、うれしい限りだ。
この3回、雪、雨、雨となってしまったが、
リピーター率が高いと聞き、本当にありがたい。
  
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そうか。
今日はチョコの日。
まずはお義理をひとつ、ありがたく頂戴します。
  
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昨年友人が、かぶりものをして子供たちに声をかけられ、
楽しかったということなので、
今年はアマゾンで手に入れたシロクマをかぶってみることにしました。
お見苦しいですが、ご容赦ください。
  
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いよいよスタート。
かなりの南よりの向かい風です。
  
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中の作港を抜けて、江名漁港。
大漁旗は昨年同様、迫力あります。
  
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途中の海岸線は、防潮堤の工事が進められている。
津波から集落を守るためだろうが、海が見えなくなるのは、やっぱりさびしい。
このいわきで生まれ育ったものにとっては。
  
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海は見えぬが、海沿いをすすむ。
  
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工事はかなり広範囲だ。
  
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三崎公園の心臓破り。
マリンタワーをめざし、走れないので、歩きます。
  
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上り切った休憩所に、
サンシャインマラソン名物、
イチゴとトマト。
どちらもフレッシュでサイコ―です。
大ぶりで、太陽のトマトとも言われています。
  
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水族館、アクアマリンふくしまを抜けていくころ、
雨もやみ、絶好調といいたいですが、
もう足が痛い。かなりつらい。
  
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ひきずるように、歩いてはちょびっと走るの繰り返し。
  
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すると終盤、サンバのリズム。
「風に~風に~なり~たい」
なつかしい。好きな曲だ。もうひとふんばり。
  
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「がんばれ~」
「がんばれ~」
「シロクマさ~ん」
地元ダンスチームのこどもたちが、はち切れんばかりの声で応援してくれる。
「ありがとうね~」
汗だくでもかぶりつづけた甲斐があった。
心理士「じばにゃん」への声援の数には負けたが、
わがシロクマもいくどとなく、励ましをいただきました。
ついに子供たちの声援が、青空を見せてくれたみたいですね。
  
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そしていよいよゴールが見える。
もう走れないけど、6時間にはなんとか間に合いそうだ。
  
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看護師さんもがんばりました。
もう歩くのも無理です。
ご声援を、本当にありがとうございました。

  

新舞子ハイツ

Posted in ブログ on 12月 31st, 2015 by ichiro – 新舞子ハイツ はコメントを受け付けていません

珍しく新舞子ハイツまでの道のりを走った。 
いわき七浜の景勝地のひとつ、新舞子。
震災で被害を受けたハイツも、
ようやく今年
プールを含めほぼすべての施設が再開された。 
   
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平五小の前を通る道は、
中学のとき、
薄磯海水浴場まで
夏休みになるとほぼ毎日通った道だ。
中古だが、ようやく買ってもらった変速チャリ、
ロードマンを競い合って。
  
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途中、県道を右手に折れると、
小さな小川もまだ残されていた。

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休憩するときは
なぜか自分はドクターペッパーを買った。
メローイエローや
マウンテンデューも懐かしいが、
どうしてかドクターペッパーの変な?味が好きだった。
つまみはたいてい
「よっちゃんイカ」か「ベビースター」
    
いまでも変わらぬ小路に商店はあり、
スプライトは
いまもなお現役だった。
  
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そして薄磯の帰りにハイツで風呂に
男子みんなで入るのが日課だった。
お互いがお互いの身体を意識しつつ、
チャリで競い、
海では泳ぎ、
サッカーでまた競い、
好きな女の子の名を語り合った日々。
  
黙々と走ると
ひまであるからそんなころを、
昨日のことのように思い出す。
  
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さて、ハイツでは新そば祭りだそうだ。
太平洋を眺める風呂上りに、
コシがあって実にうまい。
みなが腕をふるい合うそばを、
ワンコインでいただけるのもラッキーである。 
   
 

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ドクターペッパーは黒ラベルに変われど、
あの中学時代と楽しみは同じなのかもしれない。
人というのもそう大きくは、
変わらないものらしい。

ラン&スパ&○○○&トレイン

Posted in ブログ on 11月 10th, 2015 by ichiro – ラン&スパ&○○○&トレイン はコメントを受け付けていません

2016年2月14日のサンシャインマラソンに向けて、
11月に入りようやく始動。
   
新川をいつものようにさかのぼるようにして走る。
  
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夏井川では白鳥の飛来と鮭の遡上がはじまっていたが、
ここ新川は桜の紅葉がきれいだった。
走ってはでもすぐに歩く。
歩かざるをえない。
運動不足で。
   
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ほとんど歩いて坂を越え湯本に着くと、
なぜだかリングが駅前に設置してある。
  
「教頭いけ~」
どうも青空プロレスで覆面レスラーにたたきのめされているのは、
声援からすると教頭のよう。
元気な教頭、いいですね~
ラリアートで一矢報いると、
坊主頭連中の声援がとぶ。(青春ですね)
   
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「さはこ」と双璧の「みゆき」の湯はしばらく閉鎖されていたが、
無事ふっかつ。
そしてどうも今日はお祭りのよう。
「湯の街復興学園祭」とのぼりが出ている。
ハワイアンセンターで有名なこの街は駅前も熱い。
熱いといえば「みゆきの湯」は
左側の浴槽がとにかく熱い。
でも先月、
二本松の岳温泉で入った湯船は、
相当覚悟してもほんのちょびっとずつしか入れないほど熱かった。
  
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でも「湯本」だって「岳」に負けてはいない。
どちらも全国4位の温泉数をほこる、福島県の底力である。
(ちなみに1位は長野、新潟、北海道とつづく。熱さランキングなどあれば面白い気もするが)
   
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すっかりのぼせて飲む〇〇〇はやっぱりうまい。
慢性的な、首の痛みもすこしはやわらぐ気がする。
駅前では美女たちがステージで踊っていた。
さすがハワイアンセンターの街である。
すっかりハワイアンズのダンスチームと思ってみていたら、
舞台を降りるときのアナウンスを聞いて「高校生」と知った。
化粧をしているとどう見たって大人にしかみえない。
たまげた。(←すっかりおじさんの感想)
その次に上がったアイドルたちは、いわき出身で有名なのだそうだ。
どう見てもAKBにしか見えなかった。(←これもまたおっさんの感想)
  
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およそ1年ぶりにこのラン&スパ&〇〇〇&トレインひとり上手ツアーを開催したので、
新しく生まれ変わった湯本駅にもはじめて入った。
  
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すっかり洒落た佇まいで、
この駅のホームに直接面した足湯も画期的だが、
湯につかりながら振り返れば背後に窓があって、
いわき名産の「カジキメンチ」だって、スイーツだって、〇〇〇だって何でも頼めるシステム。
やりますね。湯本。
やってくれますね。JR。
さすがにおかわりはがまんしましたが。
  
そして帰りは9分のトレイン旅。
1時間以上かかってたどり着いた路もあっという間。
やはりこの王道(邪道?)トレーニングは、
今年もやめられそうにありません。

    

   

花火

Posted in ブログ on 10月 18th, 2015 by ichiro – 花火 はコメントを受け付けていません

今年ほど花火を精力的に観た年はない。
ことのはじまりはネット応募でまず当たらないと言われている大曲の桟敷席が当たってしまったことだ。
   
 
8月1日、小名浜の花火大会は診療もあり行けなかったから、
大曲のウオーミングアップとして、
8月8日、用事ついでに福島市の花火大会にでかけた。
   

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駅から阿武隈川を歩く夕暮れの川べりはここちよく
浴衣を着た兄弟が抜きつかれつ
胸躍らせるように会場へと向かっていた。
  
  
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大曲は競技大会とだけあって
花火師どうしの火花を感じる熾烈さだった。
昼花火という珍しい煙幕のあと、
競技は、尺玉の芯入り割りもの、自由玉、そしてスターマインの部で争われる。
創作花火であるスターマインはもちろんだが、
尺玉の美しさと、
腹に、ずん、とひびく迫力がたまらない。
  
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2年前の長岡と、学生のとき以来何度か行った土浦と
これで3大花火競技大会は一応制したことになる。
花火は一瞬の勝負であるから
面白い。
一時期は本気で花火師のライセンスを取ろうと思ったほどだ。
ベタだがどうしたって人の世と重なり合い、
歓喜と哀感が入り混じる。
若い女性たちが酔っぱらって、
「これ100点」「いや120点」「う~ん、200点」
どんどん点数がつりあがっていってしまうのが聞いていて楽しかった。
   
こうなると土浦をもう一度しっかりと観てみたくなる。
人ごみは苦手だがそうも言っていられない。
またしても用事にかこつけ、縁ある土浦の土地にも数年ぶりに出かけた。
   
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土浦も大曲と同じく熾烈な競技花火である。
いつも人と行くのでちゃんと観ていなかったが、
どれも大曲に負けずハイレベルだ。
強烈な閃光とともに、
いまこの瞬間だけは日々の悩みや困難からも解放される。
関西方面から来たらしいおばちゃん連中に
煎餅やらチーズ鱈のようなものやら、次々とつまみを分けてもらいながら、話も弾む。
そして中盤、
地元主催の大仕掛けの大スターマインは名物のようで、
これでもか、これでもか、これでもか、
というほどに花火は広角に夜空のすべてを埋め尽くし、
桜川が真っ赤に染まった。
コトバが出ない。
おばちゃんたちも黙った。
動けない。
  
そして最後はたまたま出先の熱海海岸で
偶然その日に当たった10月の花火大会。
年に何度か行われる海岸の花火は、
熱海港のすり鉢状の地形を生かし、
シンプルかつ鮮やかだった。
   

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すでに肌寒い季節ではあるが、
潮風もわるくない。
  

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若いカップルもいるにはいるが、土地柄年配の方が多い気がした。
老夫婦が、
身を寄せ合って空を見上げる。
花火が終わっても動かないから、
少し心配になったくらいだ。
静けさを取り戻した海を前に
ようやく彫像が動くみたいに
二人はゆっくりと立上ると、
路地に消えた。

  

  
   

  

初夏のさはこ

Posted in ブログ on 6月 21st, 2015 by ichiro – 初夏のさはこ はコメントを受け付けていません

いつもならジョギングで向かう
常磐湯本温泉
「さはこの湯」だが、
草いきれの新川の堤防を、
自転車で駆け抜けてみた。
   
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初夏の暑い日差しのなか、
草は高く、
ずいぶん走りづらくもあったが、
ちょっと苦しくなれば必殺のアシスト機能を用い、
加速する。
  
ぐっとスピードを増すその快楽に、思わず
「加速装置!」
とつぶやいてしまう。
古いか。
確かサイボーグ009のリーダーの特殊能力だったように思う。
奥歯を噛みしめスイッチをオンすると、
全身がすっと加速するのだ。
  
新しくなった内郷駅から6号に入り、
湯本への坂を越えれば公共浴場「さはこの湯」だ。
  
2015_0613_113442-DSC_2036  
  
新しいスタンプカードをもらう。
思えば昨年スタンプあとひとつのところまでゆきながら、
10個中、9個まで押されながら、
達成できなかったカードである。
3月30日締めなので、要注意なのだ。
今年こそ10個到達を目指さざるをえない。
   
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運動のあとは体重測定。
いつも減量を実感できる。と思いきや、
「あんちゃん。それおかしいべ。すぐなぐねえか」
とあるとき声をかけられた。
そうなのだ。
うすうす感づいてはいたのだが、どうもこの「さはこ」の更衣室の体重計は、自動でサバをよんでくれる。
帰って測ると、いつも3㎏以上は増えているから、
どうやら帰りに食べてしまうだけではなさそうだ。
おんちゃんも気づいていたのだろう。
このやっぱりうれしい体重計を。
声かけてくれたところを見ると、
よほど自分も減った(とサバよんでくれる)体重に、にんまりしていたに違いない。
でもたとえサバでも、止められない。
この自動サバよみ体重計で、走って減った(ように感じられる)よろこびもあり、
さはこに通ってしまうのかもしれない。
(もっとも最近は、やはり「さはこの湯」で、おんちゃんに声をかけられて教えていただいた、
さらなる穴場に通ってもいる。これはまた今度)
     
2015_0613_115747-DSC_2039  
  
湯上がりの汗をだらだらさせながら、
湯本駅前、
暑い日にあえて
屈指の沖縄そばですね。
運動した分、(減ったであろう体重も)すぐに戻してしまいますが、
ここのはソーキ、ラフテー、テビチまで入って、止められません。
   
2015_0613_114227-DSC_2037  
   
そとは真昼には30℃近くまで気温が上がり
店外の陽射しは沖縄と錯覚するほど。
  
2015_0613_122949-DSC_2044  
  
帰りはゆったり館の前を通り、
21世紀の森公園を過ぎる。
左にアジサイ、右手にさつき、
まさに初夏。
下りの風と、上りは「加速装置」を発動し、心地よい。
  
それにしても
「あんちゃん」と「おんちゃん」の境目は、どこなのか。
そろそろ自分も「おんちゃん」だろうか。
どこからが「おんちゃん」なのだろうか。
ああそうか。
自分より年上の方からみればかろうじて「あんちゃん」キープだろうが、
子どもたちや後輩からみれば確実に「おんちゃん」で決まりだろうな。
自転車の運転中は、
ひまなので、
そんな当たり前のことを考えつつ、
たとえ「おんちゃん」だろうが、
汗を流し、疾走できる、いまこのときを思う。
  
もちろん筋肉痛が3日も残り、
かなり疲れやすくなってはいるが、
やはり今少しだけ
「あんちゃん」と「おんちゃん」のあいだでいたい。

初サイクリング

Posted in ブログ on 5月 26th, 2015 by ichiro – 初サイクリング はコメントを受け付けていません

初夏の風につられ、
念願のアシスト付自転車を手に入れた。
  
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試してみると、
小学校のとき苦労したお城山の急坂も押さずに上れた。
  
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平橋を渡り、
蛙なく田植え直後の田園を抜け、
     
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これまた行きたかった神谷の回廊美術館。
龍の背を模した回廊が斜面を駆け上り、
子供たちが描いた桜の絵の数々が、
葉桜のいまも回廊に花を咲かせている。
ボランティアの方々が全身に汗して、
建築をつづけていた。
    
2015_0524_112039-DSC_1905  
  
樹上の家。
   
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風が通る。
  
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ぶらんこも何十年ぶりだろう。
  
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空飛ぶ感じ。
この麓をこれから100年かけて
99000本の桜並木で埋め尽くすという。
震災後、
負の遺産ばかりに負けじとする発想力だ。
   
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調子に乗り
新舞子から
薄磯に出た。
被災した集落は跡形もなく、
堤防工事が進められていた。
   
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観光客にまざり、
生まれて初めて塩谷崎灯台、通称「豊間の灯台」にのぼる。
   
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灯台から薄磯を見下ろす。
集落は失われても、海の青みは変わらない。
中学生のとき、夏休みは毎日通い、
泳ぎを競い合った海だ。
海の家や、テントに連泊しての、家出生活。
独り立ちへのはじまりだった。
   
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初夏の風を満喫したが、
海を背にすぐ
まさか突然のバッテリー切れ。
う~ん37㎞は大丈夫と取扱書にはあったのだが、
城山とか、弁天様とか調子こいて上ったからか、
20㎞くらいで切れてしまった。
  
帰りの道は高久を通る、
友と自転車も競い合った農道なのだが、
アシストなしは泣きそうになるほど、
きつかった。
尻はごつごつ。
足はパンパン。
筋肉痛。
やれやれ。
それでも意地でも
年齢には負けじと
のぼり坂を降りては押さなかったけれど。

   

花めぐり~福島

Posted in ブログ on 5月 17th, 2015 by ichiro – 花めぐり~福島 はコメントを受け付けていません

花めぐりはつづく。
2~3時間でも余裕があれば、弾丸で出かける。
  
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合戦場のしだれ桜。
二本松市。樹齢150年。三春の滝桜の孫桜とも聞く。
「平安時代に朝廷の命で奥州征伐に来た八幡太郎義家と阿部貞任・宗任兄弟が戦ったとされる地に咲き誇ることから合戦場のしだれ桜と呼ばれるようになりました」
とあるから歴史は古い。
   
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菜の花とのコントラストが美しい。
          
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こちらは越代の山桜。
古殿町。
樹齢400年。
    
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個人的にはこの樹が好みですね。
野趣と存在感は格別と思います。
   
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5月に入り、クマガイソウ。
野生蘭のなかま。
戦国武将熊谷直実(くまがいなおざね)にちなんだ名称。
膨らんだ形の唇弁を昔の武士が背中に背負った母衣(ほろ)に見立てたとのこと。
こちらは田人町。
前の集団が入り口で騒いでいるので「なに? なに?」と近づいてゆくと、
ちょうど2000人目の来場者なのだという。
見れば、自分の券は2004と番号が打たれている。前のグループは4人連れだから、
おー、あと1分、1グループ早ければ記念パネルを頂けたのか。
同じ「熊谷」なだけに惜しかったかな。
なんて思いつつ、渋いクマガイソウの群落も見事である。
   
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最後は今日ですね。
M病院の院長先生に教えて頂いた名所。
高柴山。
小野町。
山頂一面をヤマツツジが埋めている。
この真紅には圧倒されます。
新緑と青空と、いうことなしです。
  
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一番奥が山頂です。
迷路のように入り組んだツツジの陰で、
みな手弁当を広げている。
クリニック裏手、
松が岡公園のツツジの回廊も思い出しますね。
幼稚園の遠足はいつもあそこでしたから。
いまは補修中ですが
必ずや復活してほしいものです。
   
福島の春。
どこもこの年齢になって、
初めて訪れた場所でした。
教えてくださった方々に、感謝です。
よいところ、
たくさんあって驚きです。
深呼吸できました。  

さくら詣で、花めぐり

Posted in ブログ on 4月 17th, 2015 by ichiro – さくら詣で、花めぐり はコメントを受け付けていません

4月12日はひさしぶりの休日でもあり、
しばらくぶりに晴れた。

さくらを詣で、花をめぐった。
     
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まずは磐城平城。
この本丸城跡は私有地であったため、
数十年来閉鎖されていたというが、
この4月1日から週末に限り公開されることになった。
12日は「平城さくらまつり」
多くの人がつめかけていた。
ものみが丘と呼び、
小学校時代はよくこの敷地を駆け回って遊んだものだ。
さすが本丸跡、
ここから平の街並みのすべてが見渡せるのである。
35年ぶりに訪れることができた。
   
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その足で同じ城山の某高等学校。
新たにゆかりのできた場所だが、
高校時代は男子校生にとっては聖地?でもあり、鬼門?でもあり、
こわくて
一度も近づいたことはないのだった。
よって初めて訪れる。
ここの桜も地名のままに、さすがに見事だ。
    
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たんご沢から城山を下り、
クリニックへ。
うん、2年ぶり、2度目の開花。
数もずいぶん増えてきた。
今年は桜のあたり年かも。
   
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つづいて公園へまわる。
年に一度の渋滞の横を、すり抜け歩く。
松ヶ岡の上は整備中で入れないが、
遊具のある第二公園は多くの家族連れでにぎわっていた。
  
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足元に一輪。
さくらに負けるな。
アスファルトに負けるな。
  
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そして大好きな新川。
桜のトンネル。
いつも走る堤防も満開だ。
  
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アリオス前。
対岸の菜の花もよい香りである。
   
  
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車に乗り換え、北上。
どこでしょうか?
ふたば未来学園高開校で話題の広野町。
広野小も生徒が少しずつ戻っていると聞きます。
二つ沼運動公園からも、子どもたちの歓声が聞こえました。
   
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ここは?
楢葉町「ここなら商店街」
プレハブに描かれた桜も見事。
作業員だけでなく、一時帰宅の方のお腹も胸も
いっぱいに満たしてくださるのだと聞きます。
   
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バリケードの向こうは帰宅困難区域で立ち入りは許されませんが、
今年も夜ノ森のさくらは咲き誇ります。
  
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帰りは川内村を回りました。
まだ避難指示の解けない場所に
静かな沢を見つけました。
  
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そして夏井川に沿って下り、
磐越東線もこの時期徐行運転をするという名所。
  
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無人の江田駅近くのツツジ(アカヤシオ)
夕暮れにぎりぎり間に合いました。
途中山峡の桜もところどころ夕陽に灯り、きれいでした。
   
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しめは小川の名だたる神社。
階段を上れば
ライトアップも妖艶です。
  
久しぶりの休日、
久しぶりの晴れ間に、
徒歩で、車で、走り回りました。
東北の春です。

   

サンシャインマラソン2015

Posted in ブログ on 2月 8th, 2015 by ichiro – サンシャインマラソン2015 はコメントを受け付けていません

無事完走できました。
このところお昼に、けやきさん、みらいキッチンさんに頼むお弁当も揚げ物をなるべく避け、
ごはん超少な目を貫いただけでなく、
やはり予想をはるかに超える沿道の応援が本当に支えになりました。
  
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テルテル坊主はスターターのいわき市長もこしらえたとのこと。
おかげで午前中は晴れ間も見えました。
10000人を超えるランナーが集結してくれ、
47のうち42の都道府県からの参加者があるというのも、故郷いわきにとっては、うれしいこと。
途中ゲストランナーで、いつも中継のコメントが面白い増田明美さんに追い抜かれたとき、
ちょうど目が合い?握手していただきました。
  
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それもあって前半は速度オーバー。
永崎海岸も美しかったし、
中の作の吊るし雛や、江名漁港の大漁旗にも励まされましたね。
ゴール地点の小名浜も含め、津波の被害を越えられた方々の心意気です。
ただ建設中の防潮堤が、このすばらしい、
いわきの海岸の眺望を妨げそうで、少しさみしさもありました。

 
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「がんばれ~」「負けるな~」
子供たちからお年寄りまで、
とにかく声援が絶え間なく、
沿道からの差し入れも途切れなく、
ところどころで太鼓やブラスバンドやなかには一人でピアニカを弾いてくれる少女もいて、
楽しいし自然に笑顔になる。
でもあまりにも絶え間なく励まされ続けて、
歩きたくても歩くことができず、少しつらいときもありましたけど、おかげで止まらずにがんばれた。
人のちからは本当に大きい。(そのぶん応援の方々の切れ目に歩きました)
  
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「ありがとう」と今日何度言ったかしれない。
差し入れの苺を頬張るとどんなに甘かったことか。
トマトがどんなにみずみずしかったことか。
雨のなかの後半戦、いただいたけんちんうどんも甘酒も泣けてくるほど。
他県に住む友人が、いわきのもてなしに感動し、これで3度目の参加というのもうなずける。
自分にしても、7年前に参加した東京マラソンに負けているとは思えなかった。
少なくとも声援の温かさについては。
    
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ここが最大の難所かな。
三崎公園の心臓破りの坂。
歩いたので心臓は破られなくて済みました。
  
ゴールの頃は本降りになって、寒かったけど、
これなら来年も年齢はすっかりと忘れ、出てみたいですね。
   
あちこちの差し入れのせいもあり、
レース後の体重が500グラム増えていました。
それでも明日のお弁当だけは、かつ丼を解禁したいと思います。
 

  

   

サンシャインマラソンへ

Posted in ブログ on 2月 7th, 2015 by ichiro – サンシャインマラソンへ はコメントを受け付けていません

明日に近づいてしまったサンシャインマラソン。
年末年始は食べ過ぎてしまい、
にわかに1月になって走りはじめたが、減量はわずか1㌔しかできず、
もう明日である。
逃げられない。
    
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それでも夏井川、新川のルートを
1月4日から今日まで、5度走った。
  
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夏井川と新川の分岐には、
今年も白鳥が子育てをしている。
  
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一度だけ海まで走った。
夏井川の河口は直接には海に注がない。
たまにユンボが砂を掘り、通そうとするが、
また埋まってしまうのはいつも不思議だ。
   
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初菜の花。
   
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初たんぽぽ。
言わなくても分かるか。
   
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新川を上ると、
正面に雪を抱いた水石山。
左岸に桜並木。
つぼみはまだ硬いが確実にふくらんでいた。
   
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帰る途中の公園。
遊具である魚の骨は何度か塗り替えられているが、
自分が幼稚園のころから、この場所にある。
  
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グリーンベルトでは幼な児が母親とゴムとびをしていた。
そうそう。
高くて跳べなくなると、
リンボーになってしまうんだっけ。
  
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いつも行列のラーメン屋。
一度は食べてみたいものだ。
いまたべたら1㌔の減量も台無しになる。
終わったら必ず食べよう。
  
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風の強い日は吹き飛ばされそうになりながら、がまんして走った。
川沿い、畑沿い、カラスも飛ばされそうで、必死だった。
気持ちは分かるよ。
去年は雪で中止だったので、やむなく今年もエントリーしたが、もうやめよう。
いい年齢である。
たまたま当たってしまった東京マラソンから7年になる。
2度目のフル。
晴れるとよいけど。
テルテル坊主ならずネギ坊主に願うしかない。
   

   

フクシマとオキナワ~その2

Posted in ブログ on 12月 18th, 2014 by ichiro – フクシマとオキナワ~その2 はコメントを受け付けていません

名護市辺野古地区の県道から砂利道へ入り、
ゆきどまりから延々と歩いて獣道を下り切ると、
「じんぶん学校」はある。
   

震災後、いわき市から沖縄へ避難された家族を描いた映画が縁で、
巡り合った場所である。
ちょうどこの日は、いまも同じくいわき市から沖縄へ避難中の、
少年もいっしょに泊まることになった。
  
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誰もいない浜へ飛び出すと、
右手奥にキャンプシュワブを望む、大浦湾のリーフが広がる。
  
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潮騒に、夕陽が溶け込む時間帯だった。   
    
「ごはんつくりますよー」
と子供たちが呼びにきてくれ、
カマドに集合。
電気もガスもない、この場所では、
薪を集め、火を起こし、一から晩餐をこしらえる。
今日のメニューは「ゆしどうふ」
豆乳をしぼり、釜に海水を加えると、
一息に煮立つ。
おからは浜に自生する食草と合わせ、
揚げ団子にする。
  
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「じんぶん学校」先輩たちに教えられ、
ようやく夕食。
時間を解き放ち、潮風のなかでいただく食事は格別だ。
3泊4日の「じんぶん学校コース」では、
鳥一羽を皆で潰し、供するという。
初めは泣き出す子供もいるが、
最終日には両手を合わせ、
食べて自ら後片付けをする。
そんな話をスタッフから聞いた。
    
電気もガスもない生活。
もちろんこれは象徴であり、
私たちはもう後戻りができようがない。
それはとても恐ろしいことなのかもしれない。
子供たちの笑顔に包まれながら、
この世界の100年後を思い、
そう感じた。
  
ちょうど大潮の新月で、
まったくの闇に星は無数だ。
少年とともに、夜の漁に出る。
「いざり」という沖縄に伝わる漁は、
深夜干潮で現れたリーフを歩き、
獲物を探す。  
  
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いたいた!
「アジケー」
これはおいしいと
翌朝、
少女がよろこぶ。
さすがうちなーんちゅ。
たくましい。
潮のかおりそのものの、
かなりハードな味なんだけどね。
  
帰り際、少女がさっと道端の草木を結わえ、
お別れのブーケを作ってくれる。
うれしかった。
かなり久しぶりに子供に戻り、
笑った気がする。
       
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いつか不自然な日常に苦労する子供たちとともに、
もう一度この場所を訪れたいと思った。
   
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フクシマとオキナワ。
ご縁に感謝し、
それぞれの現実に
向き合ってゆければと思う。
    

   

  

  

フクシマとオキナワ~その1

Posted in ブログ on 12月 7th, 2014 by ichiro – フクシマとオキナワ~その1 はコメントを受け付けていません

11月の連休を利用して、沖縄へでかけた。
沖縄は、20代の頃に4年ほど住み、
離島への往診や、精神分析、芸術療法、ユタに代表される歴史ある治療文化を学んだ地であり、
私の精神科医としての原点でもあると同時に、
第二の故郷ともいえる土地だ。
何よりも住む人が、あたたかく、屈託なく、
当時まだいろいろな意味で
ささくれていた私を救ってくれた土地でもある。
  
震災後も一時期世話になり、
いまもなお毎年何度か訪れないわけにはゆかない。
        
今回のテーマは基地問題で揺れる、
名護市辺野古地区。
2007年に発見されたという
アオサンゴの巨大群落を
どうしてもこの目で見たかった。
   

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ここが辺野古地区大浦湾。
右手にはキャンプシュワブ。
海上保安庁の巡視船が沖には数多く見えた。
仲間の助けを借り、東風を押し切り、およそ400メートル泳ぎ、サンゴ群落をめざす。
   
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浅場にはテーブルサンゴも敷き詰められている。
さらに沖へと泳ぎ進む。
   
    
広大な大浦湾で、ピンポイントでサンゴ群落を探し出すことは難しい。
風と波に揺られながら数十分、
ようやくリーダーが短く叫んだ。
「ここだ」
深まりゆくポイントを潜水し、仰ぎ見ると、
城のように連なるアオサンゴが現れた。
沖縄の仲間に大感謝だ。
    

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ところどころうねり、トンネルを作り、
自在に湧き上がる造形美に圧倒される。
スズメダイやフエダイたちのねぐらでもあり、
巨大な遊び場でもある。
  
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およそ1億3700年前から、
この地球上に存在していたとされるこのサンゴは、
私たち人類の大先輩だ。
わずか7年前に発見されたというのだから、
私たちがこの地球について知り得ていることなど、
ほんのわずかのことなのかもしれない。
  
陸に上がるとキャンプシュワブのゲート前では、
基地移設反対を訴える人々が座り込み、警察隊と対峙していた。
くしくも先週、移設反対派の翁長氏が当選したばかりである。
同じようにバリケードが張り巡らされた、
福島第一原子力発電所周囲のものものしい空気と重ならないはずはなかった。
国策に翻弄される苦しみも含めて。
   
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違うのは、手を振り返す明るさだろうか。
かつて比類なき苦しみを強いられた沖縄の土地の、
ある意味、太陽のようなつよさなのかもしれない。
   
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夜は同じ辺野古地区にある、
「じんぶん学校」に泊めていただく。
電気も、ガスもないこの施設は、
食事も竈での火起こしからはじめるという。
震災後、とある映画が縁で巡り合った場所なのだが、
念願かない、
今回宿泊できることになった。
  
集落から奥まった山道を車がひっくり返りそうになるくらいガタガタいわせながら延々と進み、
ゆきどまると今度は獣道を30分ほど下りなければたどり着けない場所でもある。
    
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ここからさらに降りてゆく。
眼下の浜に学校はある。
息を弾ませ、夕暮れを急ぐ。

  

11月4日

Posted in ブログ on 11月 16th, 2014 by ichiro – 11月4日 はコメントを受け付けていません

11月4日は、久しぶりに一人、車ででかけた。
東京から、いわき、そして仙台までの海岸線をつなぐ、
国道6号線が、
震災による原子力発電所事故から3年半の期間を経て、
今年9月に開通された。
とにかく北へ、車を走らせる。
 
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木戸川。
避難指示の続く楢葉地区にある美しい河川だ。
鮭は、変わらず、遡上している。
ほっとする。
   
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国道6号線は開通したが、
常磐線は竜田駅まで。
その北に位置する富岡の駅はまだまだ痛々しい。
海岸までが、除染の黒袋で埋まっていたが、
逆にいえば、除染は進み、
町内のガソリンスタンドも営業を再開している。
  
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そしてこれまで通行禁止であった、
帰還困難区域へと入る。
二輪車は依然通行禁止で、国道をそれる脇道はバリケードで封鎖され、
警官が不審者を警備している。
   
かつてのどかな田園だったはずの土地は、
枯れ始めたセイタカアワダチソウで埋め尽くされていた。   
  
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そしていまも多くの作業員の方々が収束へ向けて、
困難な仕事に従事されている1Fの至近を通る。
線量計は通り過ぎるわずか1㌔圏内では高い数値を示した。
     
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浪江を過ぎ、南相馬市小高地区へ。
高校時代の級友が、
ここからいわきまで通っていた。
このあたりは津波の影響が色濃く残り、
セイタカアワダチソウさえ生えないのか、
海まで広く荒れた土地が、
手つかずにそのまま残っていた。
   
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相馬から内陸へ入り、霊山方面へ。
ようやく刈り取られた田んぼの風景に安堵する。
車を止め、紅葉の霊山を、ゆっくり歩いた。
中高年の登山者が笑顔を交わし合い、
青空は少しも変わりはなかった。
高台から見下ろせば
山と山のあいだの土地には、
汚染土の黒袋が集積されている。
  
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帰りは飯舘村から南相馬へ。
やはり避難指示の続いている飯館村は、
本当に美しい村なのだが、
黒い袋が荒れた田園風景に痛々しかった。
  
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故郷を奪われた多くの方々の、
怒りと悲しみが伝わってくる。
  
今年の夏から秋にかけて、
川内村のモリアオガエル、
竜田駅の開通式、
震災前の9.3%の入場者数にとどまった大好きな四倉海岸、
平の七夕、
小名浜の花火、
夏井川の灯篭流し、
川俣のフォルクローレ、
そして今日の木戸川、霊山、飯舘村。
いずれも一人で出かけ、
「福島」を歩いた。
変わらないもの、
変わりつつあるもの、
変わりゆくもの、
変わり果てたもの、
変わりようがないもの。
「復興」という言葉さえ、
ささくれなしには
受け取れないのもいまだに事実だ。
できることはもちろん、限られている。
        
11月4日は中学時代の、
クラスメートを亡くした命日でもあった。
2年前はあまりの多忙さにかまけて、
この日をすっかり忘れてしまった。
それはそれでよいのかどうか。
悲しみの記憶は人を苦しめるが、
人だけが悲しみを想い、
共有することができる生き物なのだ。
    
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そして豚丼。
かねてから多くの方々に噂を聞いていたが、これがそうか。
念願が叶った。
もとは被災地と平にあった老舗の鰻屋さんが、
震災後、見事に転身を遂げたという。
「並」「中」「大」とあり、「中」を頼むが、
これがはちきれんばかりのボリュームだった。
秘伝のタレと焼き具合が、肉にもマッチ。
これでもか、と盛られたご飯もどんどんいけた。
この地で働く多くの方の活力源だ。
ありがたい。
  
帰りは夜の6号線を南へ。
久ノ浜で渋滞するのも、聞いていた通りだ。
多くの人が、1日を終え、帰路につく。
暗がりに窓を開ければ、
波立海岸の潮の香りは、
変わりなく
そこにあった。

  

モリアオガエル

Posted in ブログ on 6月 7th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

うまわるや 
森の蛙は 
阿武隈の 
平伏の沼べ 
水楢のかげ
     
梅雨入り前の日曜日、
草野心平の詩に誘われるように、
いわき市の北西に位置する川内村は平伏沼(へぶすぬま)に出かけた。
  
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山頂に近い
森の奥の路を抜けると、
  
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小さく
静かな
沼に行き当たる。
  
畔は、
わずか5分で一周できるほどで
青い胴体の糸トンボが飛び交い、
まったくの無音のあいだに
ぐう、ぐうとカエルの声。
  
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目を凝らせてみればミズナラの陰に、
無事に産卵しているではないか。(画面右上)
と足元から
ぽちゃんと飛び込む、
アオガエルの背を垣間見る。
  
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梅雨に入ろうとするこの時期、
卵をいっぱいにおなかを膨らませた一匹のメスガエルに
多くのオスガエルが集まり、樹上で産卵する光景は、
初夏を告げる、平伏沼の、祭祀のようなものかもしれない。
一時期は絶滅寸前に追い込まれたこのアオガエルの繁殖地だが、
ひとびとの努力で、昨年は100以上の卵塊が、
この沼の畔で、確認されたと。
発泡スチロールをしきつめて、
水を増やす努力のたまものだという。
糸トンボが飛び交う、
静かな沼に
心平も聞いたカエルの声がこだまする。(写真は昨年のもの) 
  
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林道を下ると、
ところどころに
行くあてのない
除染の袋が痛々しい。
  
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それでも昨年は荒れ地にひなげしが咲いていた場所にも水が引かれ、
田んぼが少しずつ息を吹き返していた。
  
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川内村は
福島第一原子力発電所の西30㌔圏内に位置し、
一時期は全村避難の憂き目にあったが、
2012年1月
他の自治体に先駆けて「帰村宣言」を行った村だ。
静かな村には、
初夏のここちよい風が流れ、
洗濯物がところどころはためいている。
  
自然と人間。
産卵といえば20代に沖縄に住んでいた頃、
どうしてもサンゴの産卵をみたくて、
毎晩夜10時に環礁に通い詰めていたときのことを思い出す。
温暖化前の沖縄のサンゴは
いたるところに
これでもかというほどに敷き詰められ、
圧倒的な産卵だった。
あれも6月。
幼いころに見た、セミの羽化のあざやかさ。
あれは7月だったか。
  
圧倒的な自然を前に
言葉をうしない、
しばし涙ぐみそうになる。
感傷の涙ではなく、
感謝の涙、
ともに暮らす、
ありがたみを受け継いでゆける涙にしたい。
  

 

福島と沖縄の友情

Posted in ブログ on 5月 17th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

沖縄の副県知事をされている、
高良倉吉氏がいわきに来られるということで、
懇親会に参加させていただいた。
氏は、明日には沖縄に戻り、国際問題の会議もあるという忙しさだが、
昨日は福島県庁にて、ひきつづき震災後の沖縄県からの支援の継続を約束してくださり、
本日は、富岡地区を主に視察され、今宵は沖縄を愛するいわき市民、いわきに在住する沖縄県民が集い、
酒宴とあいなった。
  
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氏は、沖縄県でも伊是名島という離島の生まれで、
震災後、いわきに在住されている名嘉幸照氏と同郷であり、
私が敬愛する版画家、名嘉睦稔氏も同じ島の、しかも同じ勢理客という集落の生まれということなのだ。
名嘉幸照氏は、日本屈指の原子力発電所の建築、メンテナンスの技術者で、40年来富岡で、原子力発電の安全を見守ってこられた方だ。
震災後まもなくから3年を過ぎたいまも、事故の収束、廃炉に向け、八面六臂の活躍をされている。
最近上梓された著作のなかで彼は、先の大戦で、日本の犠牲になった沖縄と、いまの福島の状況が酷似していることを伝え、
単なる、負の遺産としての類似だけではなく、いまこそ沖縄と福島が手を取り合って、
負からはじまったとしても、逆転の発想で、将来を切り拓いてゆけるはずだと伝えている。
    
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高良氏は、琉球大学の名誉教授をされ、
琉球の文学や、琉球史の研究を専門とされる。
我がいわきの銘酒「又兵衛」をうまいと飲んでくださり、
これからの沖縄や福島の抱える問題、向かうべき未来を話してくれた。
福島-沖縄を結ぶ、定期航路の復活。
いまだに沖縄に避難中の方々の話。
福島の子供たちが、沖縄の文化に触れる企画の継続。
逆に沖縄の子供たちが、東北の文化に触れてもらう計画。
私にしても、沖縄で過ごした時間は長く、
第二の故郷ともいえる沖縄と、福島をつないでゆく仕事をしたいと思っている矢先でもあり、
楽しく、うれしい時間だった。
江戸時代、福島から沖縄にたまたま渡り、
じゃんがら念仏を琉球に伝え、エイサーの起源とされる、
袋中上人の築いた菩提院の住職さんとも、又兵衛を酌み交わすことができた。
もちろんいつもお世話になっている、
沖縄料理店のアンマーと、ネーネーとも。
  
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沖縄の海は、美しい。
生命にあふれているから、私もしばしば訪れる。
でも福島の海と森だって、本来負けないくらい美しいのだ。 
  
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診察室に飾ってある、名嘉睦稔氏のこの版画は、
伊是名島の大いなる海が、原景だ。
基地にせよ、原発事故にせよ、
故郷を追われた悲しみはそう簡単に消えるものではないが、
私たちの原景はひとつであり、
この絵を過去から未来への窓として、
誰もがつながってゆきたいと思う。 
  

  

夜ノ森のさくら

Posted in ブログ on 4月 22nd, 2014 by ichiro – Be the first to comment

富岡生まれの臨床心理士さんが、実家の空気の入れ替えをするというので、同行した。
この時期、浜通りでも有数のさくらの名所、富岡町夜ノ森地区のさくらを観たいと思ったこともあるが、
そればかりではない。
 
人口およそ1万5千人の、全町民に避難指示が出されている富岡町の、
帰還したくても帰還できない実情を、多くの方々からお聞きするうち、
一度はこの目で何かを確かめたいと思ったのだ。
      
海沿いに位置する、JR富岡駅周辺は、
震災の爪痕を色濃く残し、
駅からのぞむ青い海原が印象的だったが、
高校時代、
毎日この駅からいわきまで通学したという臨床心理士の彼によれば、
駅から海が見渡せた記憶はないという。
   
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つまりは津波で海沿いの住宅地が流され、
加えて放射能汚染のため立ち入りも制限され、
まだ復旧が手つかずのままであるのだった。
  
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しかしながら彼の通った、
富岡一小、富岡一中は除染され、
街中の道路も補修工事がはじまっており、
まるであかりが灯ったように、
街の中央に位置するガソリンスタンドが、
営業を再開しているのには驚いた。
この街に戻ろうとする、
人々のつよい意思を感じた。
  
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夜ノ森のさくらは、
一部が帰還困難区域に指定されておりバリケードで封鎖され、
途中までしか立ち入りできなかったが、
入口から数百メートルにも及ぶさくら並木は息をのむほど、
美しく咲き誇っていた。
静かに咲く花々は、
春風に揺られ、花を散らし、
誰も通らないアスファルトに花びらをしきつめてゆく。
     
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「松が岡公園(のさくら)は平和でしたね」
富岡で生まれ育った心理士は、そう言って黙った。
確かにいわきの松が岡公園には、
幼子の駆け巡る姿がある。
        
3年という月日の長さ、
避難生活の長さを案じながらも、
しかし自然は鮮やかにそのままであり、
もう一度
人と自然が手を取り合って生きてゆくための第一歩は、
確かにいま踏み出されなければならないのだと、そう思った。

松が岡公園

Posted in ブログ on 4月 8th, 2014 by ichiro – Be the first to comment

週末、松ケ岡公園の桜が、
満開の様相となった。
 
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古木は、震災によって、地面がぼこぼこになっても揺るがず、
いったい、いつから平市街を見下ろしているのかと調べれば、次のような記載に行き当たる。
     
明治40年平町議会は、日露戦争記念行事として、茶畑、麦畑と竹やぶであった矢小路台(薬王寺台)を開き、防火用水をかねた大貯水池をつくり、これを中心として桜、梅、つつじを植えました。
その後、東京大塚にあった旧城主、安藤邸内の古つつじ千本を移植し これを中心として全国からつつじの名木3,000本を集め、つつじ園と桜の名所として今日にいたっています。
   
であれば少なくとも、樹齢は100年を越えることになる。
どうりで見事なフォルムである。
しかも東京生まれだったとは。
樹肌に触れると時の流れが伝わるようだ。
   
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第2公園にいたる花道は、
ことにうつくしい。 
福島市の
花見山にだって負けてはいない、
とひいきめに思う。
  
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幼稚園の頃、
当時あった公園内の食堂に友人が住んでいて、 
毎日のように遊んだ公園だ。
誰のこころにも、その人の花、さくらがあるのだと思う。
震災後、
半分が帰還困難地域となってしまった富岡町、夜ノ森のさくらも見事に咲きはじめているのだろう。
避難されている方々が、松ヶ岡公園のさくらも、きれいですね。
と言ってくれることを、複雑な思いのなかながら、うれしく思う。
  
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